インターネットを利用した選挙運動が、今夏の参院選から解禁される。どの政党・候補者の政策が私たち国民にとって望ましく、実現可能なのか。見極める手段の一つとして有効に活用したい。
選挙運動を細かに規制して「べからず集」と揶揄(やゆ)される公職選挙法に風穴が開いた。遅きに失したが、インターネットがようやく選挙運動に使えるようになる。
現行法は選挙期間中に配布できるビラやはがきなど「文書図画」の種類と量を制限している。パソコン上の文字や写真もそれに該当するとして、選挙期間中は更新できなかった。
きのう成立した改正公選法は、ホームページやブログ、短文投稿サイト「ツイッター」、交流サイト「フェイスブック」などの選挙運動への利用を全面解禁した。
これにより政党・候補者は選挙の公示、告示後もネットを通じて投票依頼や政見を瞬時に、幅広く訴えることができる。有権者側は政党・候補者に関する情報を随時入手できるようになるし、ネット上での対話も可能となる。
代表制民主主義は、われわれ有権者が熟慮した一票を投じることで成り立つ。その選択の材料を得る機会が、ネット選挙運動の解禁で増えるのなら望ましい。
昨年十二月の衆院選の投票率は戦後最低だった。特に若年層の低投票率は深刻だ。ネット利用は、どちらかといえば高齢者よりも若年層の方が多いだろう。ネット選挙運動の解禁が、若年層の政治への関心を高め、政策論争や投票を促す機会となるなら大歓迎だ。
それが、教育、子育て支援、子どもの福祉など、特に若年層に切実な政策の充実につながれば、少子高齢化の深刻化に対する処方箋の一つになるかもしれない。
ただ、ネットは便利な一方、間違った情報でも一度発信されると拡散して消し去ることが難しいという欠点もある。
候補者を装う「成り済まし」や悪意の書き込みは論外だが、政党・候補者は建設的な政策論争に努め、他党・陣営との非難合戦に陥らないよう留意すべきだ。
ネットでの選挙運動に限らず、誤った情報に基づいて政党・候補者を選び、政策の失敗を招けば、不利益をこうむるのは、われわれ国民自身である。
やはり重要なのは、有権者一人一人が情報の真贋(しんがん)を見極め、中傷に惑わされない力を養うことだろう。たとえ困難でも、そうした地道な作業が民主主義を強くする。
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