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ずいぶん以前にイスラエルを訪れ、エルサレムの街を歩いたときの緊張感が忘れられない。爆弾テロが多発していた時期だった。腹をくくって嘆きの壁やらを巡った。短い滞在なのに、ひどく疲れた▼米国ボストンに住む人々にとっても、恐怖にさいなまれ、神経をピリピリ尖(とが)らせながらの数日だったに違いない。現地時間の19日夜に2人目の容疑者の身柄が確保され、安堵(あんど)の眠りについたことだろう▼チェチェン系の兄弟、死亡した26歳の兄と、19歳の弟がなにを考えていたのかはまだはっきりしない。政治的、宗教的な背景があるのか、ないのか。移民としての境遇ゆえの鬱屈(うっくつ)を晴らしたかったのか▼過去、悲惨なテロリズムを生んだのは、しばしば少数派の絶望や怨恨(えんこん)だった。自分たちが多数派に回ることは絶対ない、ずっと抑圧され続けだ。少数派がそう思い込むような状況では、双方の間に対話は成り立たない。暴力に訴えるほかなくなる▼自分たちは米国社会ではしょせん少数派にすぎない。そんな屈託を、2人も抱えていたのかもしれない。もちろん、そのことが免罪符になるはずはない。無防備な大観衆の集うマラソンの会場を狙う。卑劣としかいいようがない。何が目的だったのか、真相の解明を待とう▼ふつうの市民を無差別に巻き添えにするテロは、社会を硬直させ、人々を金縛りにする。「自由はその濫用(らんよう)者によって奪われる」(長尾龍一『政治的殺人』)。テロこそ、最も憎むべき自由の乱用にほかならない。