国民の基本的人権より役人の選挙事務が大切だ。成年後見人がついた人に選挙権を認めた東京地裁判決に対し、控訴した国の理屈とはそういうことだろう。人権救済の先送りは到底許されない。
ダウン症で知的障害のある茨城県牛久市の女性が「投票に行きたい」として、国を訴えた裁判である。後見人がついて選挙権を失ったからだ。公職選挙法のそんな規定は憲法違反だと主張した。
東京地裁は十四日、ほぼ全面的に原告の主張を認める判決を出した。これに対して政府は二十七日、与党内の反対の声を押し切って東京高裁に控訴してしまった。
新藤義孝総務相が述べた控訴理由は、おおむね二点に集約される。まず新たな立法措置には時間がかかること。そして全国各地の地方選挙での混乱を避けること。つまり選挙事務の問題なのだ。
規定を見直す時間稼ぎのために違憲判決の確定を先延ばししたわけだ。法律の欠陥を放置してきた国会の怠慢の後始末に、控訴を利用したと見られても仕方ない。
新たな立法措置とはなにか。認知症や障害によって後見人がついた人に、選挙権を行使する能力があるか否かを調べる仕組みづくりを想定しているらしい。あまりに非現実的だ。だれがどうやって能力の範囲を線引きするのか。
憲法はすべての成人に選挙権を保障している。主権者である国民の負託を受けた為政者が、主権者の投票能力の有無を決めることは民主主義に反する。権利をどう行使するか、あるいは棄権するかは国民の判断に委ねられている。
選挙の混乱とはなにか。後見人がついている人を選挙人名簿に登録して投票案内を出すのに、実務上どんな支障があるのか。知的障害や精神障害があっても後見人がついておらず、選挙権を行使している人はすでに多くいる。
他人に唆されて不正投票に及ぶ恐れがあると国は心配する。だが、不正行為は障害や病気のある人に限った話ではないし、そもそも国は一審でどんな実害があるのか立証できなかった。
曖昧な「恐れ」で基本的人権である選挙権を奪い続けるのは、国の権力乱用と言うほかない。
財産や契約上の不利益から判断能力の弱い人を守るのが成年後見制度だ。障害や病気があっても自立して生きられる社会を目指すノーマライゼーションの理念に基づく。後見人がつくと選挙権を失う規定はこの理念に逆行するのだ。
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