昨年の衆院選は「無効」とした二つの判決は衝撃だった。一票の格差訴訟で“違憲ラッシュ”が続く異常事態だ。最高裁は果断な判断を早く出すべきだ。
警告が発せられていたのに、それでもルールを無視したら、アウトになる。そんな常識が国会には通用しないらしい。
あたかも警告に従順であるように見せかけ、わずかにルールをいじって、セーフだと言っても、審判には通用しない。昨年十二月に実施された衆院選と、その後の「一票の格差」訴訟を眺めると、そんな印象を持つ。
◆吹き荒れた「違憲」の嵐
全国十四の高裁・高裁支部で二つの弁護士グループが起こした裁判は計十六件。広島と岡山で「違憲・無効」判決が出て、東京や札幌、金沢など十二件が「違憲」だった。「違憲状態」としたのは、名古屋と福岡だけだ。列島の中を「衆院選は憲法違反」という春の嵐が吹き荒れたかのようだ。
違憲論理は明瞭だ。(1)投票価値が不平等かどうか(2)是正するために合理的な期間を過ぎているかどうか(3)選挙無効とするかどうか−。この三点で判断された。もともと有権者一人が持つ一票の価値に、最大二・四三倍もの格差があった。ある人は「一票」なのに、ある人は「〇・四一票」しかない。不平等であるのは明白だ。
その“病根”を二〇一一年に最高裁は「一人別枠方式」にあると明示した。あらかじめ四十七都道府県に一議席ずつ配分する方式の廃止を求めたのだ。これが警告だ。
だが、国会は昨年の解散間際に、法律の規定を削除したものの、事実上、同方式を温存したまま、「〇増五減」を決めた。ルールをわずかにいじった目くらましの手にすぎない。札幌高裁などは「最高裁判決の指摘に沿った改正とは質的に異なる」と断じた。審判の目からは逃れられない。
◆事情判決に安住するな
しかも、最高裁判決から一年八カ月もの時間があった。同時に従来の区割りで選挙をした。「違憲」は自明の結論といえよう。
広島と岡山では、違憲でも選挙は有効とする、いわゆる「事情判決の法理」が通用しなかった。選挙無効とした場合、大きな政治的混乱が予想され、それを回避するため、一九七六年に最高裁が“発明”した法理論である。
ただし、無理があるとも指摘されていた。元最高裁判事の藤田宙靖氏は「最高裁回想録」(有斐閣)で記している。
<「事情判決の法理」とは、ただ、“公共の福祉に著しい影響を及ぼす場合には、憲法違反の国家行為も無効ではない”という余りにも乱暴な理屈を無造作に展開するものに過(す)ぎないことになるのであって、私には到底賛同することができない>
広島が八カ月の猶予期間を付けた“未来の無効”であったのに対し、岡山は猶予を付けなかった。「投票価値の平等に反する状態を容認する弊害に比べて、政治的混乱が大きいとはいえない」と踏み込んだ判断をしたのだ。
もちろん、最高裁で「違憲」が確定するだけでも、現行の小選挙区が中心の制度が実施されてから、初となり意味は極めて重い。
確定判決の趣旨に従って、国会に法改正の義務が発生するからである。「一人別枠」を実質廃止し、小選挙区を人口比例配分することになろう。金沢判決などが「区割りは、実務上可能な限り人口に比例してされねばならず、許容される格差はさほど大きくない」と明言している。
だが、実際に国会は機敏に動くだろうか。無効を宣言しない限り、政治は鈍感であり続けはしないか。自民党の制度改革案でも、比例選の定数を三十減にし、中小政党への配慮策など盛り込んだ内容にすぎない。比例選こそ、平等選挙の世界であり、その定数を減らすことなど、「一票の格差」問題とは無関係である。
議員自身が利害当事者だから、抜本改革が期待できないのだ。身を切るなら、莫大(ばくだい)な政党交付金を大幅に削った方が国民にわかりやすい。司法は政治になめられている。こんな国会を許すなら、最高裁は憲法の番人たりえない。
「四増四減」の弥縫(びほう)策で行われる夏の参院選後には、全都道府県で、選挙無効訴訟が起きると聞く。またも、選挙無効や“違憲ラッシュ”の嵐が予想されよう。
◆腹くくる覚悟で臨め
四五年三月、戦時下でありながら、当時の大審院は、東条英機政権下の翼賛選挙に「衆議院議員ノ選挙ハ之ヲ無効トス」と宣言した。再選挙を行わせるほど、腹をくくったのだ。
憲法が要請するのは、実際上、可能な限りの一票の平等であることは、疑いがない。試されるのは最高裁の覚悟である。
この記事を印刷する