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長年の思い込みを新しい知見や情報によって打ち砕かれる経験は快い。学校で教わり、試験用にせっせと暗記したことが、必ずしも唯一の真理ではなかったと後に知る。学びに終わりはない▼例えば日本史年表に「徳川家康、江戸幕府を開く」とある。そうだねと思う。ところが、時の中央政府を幕府と呼ぶことは当時きわめて希(まれ)だったという。ふつうには「公儀」といった。しばしば「朝廷」とも呼ばれた。京都のことだと思いがちだが、違う。京都は「禁裏(きんり)」などと称された▼「幕府」とは江戸後期、反徳川の勢力が用いた「政治用語」だったのだという。徳川政権を皇室の権威の下に位置づけ、やや軽くみる意味合いが含まれる、と。こうした見方は、渡辺浩・東大名誉教授の『東アジアの王権と思想』に教えられた▼歴史は日々、新たな研究によって手直しを受ける。その成果は学校での教え方にも影響をおよぼす。2014年度から高校生が使う日本史教科書に、これまでの「常識」を疑う記述が続々盛られたと、東京で読んだ本紙夕刊にあった▼あの聖徳太子が実は存在しなかったのではないか。後に生み出された架空の人物ではないか。そんな説を紹介した教科書もある。門外漢には驚きの論争が、若く柔らかい頭脳にどんな刺激を与えるだろう▼歴史教育は難しい。歴史認識の違いは政治問題にもなる。争いがあるなら争いとして触れる。史実を究める試みには限界もあるということなら教えられるし、学びがいもある。