この国の為政者はなぜ、沖縄の痛みに寄り添おうとしないのか。新しい米軍基地を造るための名護市沿岸部埋め立て申請。県知事が不可能とするのに強行するのは、あまりにも不誠実ではないのか。
市街地に隣接する米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の危険を取り除くには、部隊を一刻も早く別の場所に移すことが必要だ。
しかし、在日米軍基地の74%が集中する沖縄県に、新しい基地を造るのは負担の押し付けにほかならない。県民の多くや自治体の首長・議会が反対する県内移設に固執しては、問題解決を長引かせるだけだろう。
防衛省沖縄防衛局の職員は二十二日午後、事前連絡もなく県北部土木事務所(名護市)に現れ、辺野古移設に反対する市民や報道陣を避けるように申請書類入りの段ボール箱を運び込んだ、という。
政府は環境影響評価書を送った際も、書類の入った段ボール箱を夜陰に乗じて県庁に運び込んだ経緯がある。このような形でしか進められない手続きは、移設反対派との混乱を避けるためとはいえ、県内移設がいかに理不尽なものであるかを象徴している。
埋め立ての許可権を持つ仲井真弘多県知事は、辺野古への県内移設が「事実上不可能、無理だ」と繰り返し強調してきた。知事が判断する際に意見を聞く、地元・名護市の稲嶺進市長も、辺野古への移設に反対を明言している。
県議会議長や県内四十一の全市町村長、議長らは一月に連名で、普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設の断念を求めた「建白書」を安倍晋三首相に手渡した。県内移設反対は沖縄県民の「総意」だ。
仲井真知事が埋め立てを許可できる状況にないにもかかわらず、なぜ政府は申請手続きを強行できるのだろう。なぜ、辺野古移設に反対する沖縄県民よりも、米政府の意向に従おうとするのか。
安倍内閣は一九五二年にサンフランシスコ講和条約が発効した四月二十八日を「主権回復の日」とし、政府主催の記念式典を開くことを閣議決定した。しかし、条約によって日本本土と切り離され、苛烈な米軍支配に置かれた沖縄にとってこの日は「屈辱の日」だ。
安倍首相は「沖縄の苦難の歴史を忘れてはならない」と述べた。その決意があるのなら、沖縄県以外の都道府県に米軍基地負担の受け入れを求めたり、国外移設を米政府に提起すべきではないか。それをやるのは今、なのだ。
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