中国トップの座についた習近平氏は、国家主席就任後、初の演説で「中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現する」と訴えた。
アヘン戦争をきっかけに、一時は東亜病夫(東洋の病人)とまで言われた屈辱の百七十年間を総括し、歴史と伝統に輝く中華の大国を再現したいとの願いを込めたものであろう。
確かに、アヘン戦争に敗れる前の清国は、広大な領土を有する世界の大国であった。満州民族が建てたものの、次第に自国を世界の中心として、周辺国を夷狄(いてき)と見下す中華思想の世界観を有した。
今や、国防予算は二十五年連続で二桁増。習氏は演説で「強軍」と言う。
中国は、欧州や日本の帝国主義に踏みにじられた歴史を雪辱し、大国復帰を願う努力を批判されるのは、受け入れがたいと思うかもしれない。
だが、超大国への道を歩む今、それにふさわしい行動と政策が求められる。中国脅威論とは、そのけん制でもある。
歴史を振り返れば、十九世紀末に孫文が革命を志し振興中華を意味する「興中会」をつくった。
「中華民族の復興」は習氏だけの旗印ではなく、歴代の指導者が孫文の精神を脈々と受け継いできたものであろう。
だが、孫文は神戸での「大アジア主義講演」で、日中戦争前の日本に対し「西洋覇道の走狗(そうく)となるのか、東洋王道の守護者となるのか」と問いかけた。
武力による覇道でなく、道徳や仁義を重んじる王道を求めることが、孫文の精神でもあろう。
どの国も全力で領土主権を守るのは当然だ。しかし、トップが「戦争に打ち勝つ」などと口にするのは危険極まりない。
習氏は「愛国主義で中華民族を団結させる」と言うが、「中国の夢」を、排外的なナショナリズムにつなげてはなるまい。
江沢民元総書記は一九九〇年代半ばから、国民に愛国主義教育を徹底した。
屈辱をエネルギーに変えることはできるが、それが周辺国との摩擦や衝突、また反日デモなどにつながったことを忘れてほしくない。
党のための中華振興ではなく、民衆が主人公の健全な中華復興こそ望ましい。
二十一世紀の大国らしさとは、力による支配ではなく、協調であることは言うまでもない。 (論説委員・加藤直人)
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