HTTP/1.1 200 OK Date: Wed, 20 Mar 2013 20:21:12 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞: <沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄(ぶどう)に雨ふりそ…:社説・コラム(TOKYO Web)
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 <沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄(ぶどう)に雨ふりそそぐ>。斎藤茂吉が昭和二十年秋につくった歌だ。戦争賛美の歌を多く詠んだ歌人の沈黙には、敗戦に言葉を失っただけではなく、別の解釈も成り立つ▼「自分が文壇、歌壇でどのような場に立たされるのかに関して、かすかな懸念もあったはずである。そのような鬱屈(うっくつ)した思いが、彼に沈黙を強いたのであるかもしれない」(永田和宏著『近代秀歌』)▼一度始めた戦争はやめることが難しい。敵味方は問わず、おびただしい人命が失われる。それだけに指導者の決断は重く、支持した民衆の責任も歴史に問われることになる▼イラク戦争が始まってきょうで十年を迎える。大量破壊兵器を開発・保有している、米中枢同時テロに協力した−。米国が開戦理由として挙げた「大義」は、ことごとく事実ではなかった▼ウソから始まった戦争で十万人ともいわれるイラク人が犠牲になった。米国の占領政策の失敗で、宗派対立が激化し、イラク人同士が殺し合った▼自衛隊が初めて戦地に派兵された戦争だった。航空自衛隊は米兵を激戦地に空輸することに協力した。集団的自衛権の行使が認められていたなら、米軍と共に行動した陸上自衛隊はイラク人兵士らの命を奪い、戦死者も出ただろう。ひたすら米国に追従し中東で信頼を失った。当時の指導者に沈黙は許されない。

 

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