後見人がついた知的障害者にも選挙権は保障される。東京地裁はそう認め、投票権はないと定めた公職選挙法の現行のルールは憲法違反と断じた。国は法改正を急ぎ、政治参加に道を開くべきだ。
ダウン症で知的障害がある。原告の女性は成人してから国政選挙であれ、地方選挙であれ、選挙公報を読んで両親と一緒に欠かさず投票してきた。
ところが、計算が不得手という娘の将来を心配し、父親が二〇〇七年に後見人になると、投票の案内が届かなくなった。選挙権を失ったのだ。
女性は国を訴えた。後見人がついた人とそうでない人の一票にどんな違いがあるのか、と。
認知症や精神障害、知的障害があるような人は、お金や不動産を管理、処分したり、介護や福祉のサービスを契約したりするのが難しい場合がある。
そんな人にふさわしい援助者をつけて権利を守る仕組みが成年後見制度だ。能力が全くないとされる成年被後見人は選挙権がなくなる。これが公選法のルールだ。
東京地裁の判決は原告の言い分を認めた。「成年被後見人が総じて選挙権を行使する能力を欠くわけではない」と言い切った。公選法のルールを明快に違憲、無効とした判断を大いに評価したい。
判決が指摘するように、この制度は判断能力の乏しい人が財産上の不利益を被らないよう権利を保護するのが主な目的だ。家族の先行きを案じて利用する人は多い。
だが、後見人がついていても自由に日常生活を送り、結婚したり、遺言したりもできる。人としての自己決定を重んじ、支えるための制度を、選挙権を奪う根拠としているルールこそ言語道断だ。
この判決の意味は重い。生まれつき障害のある人、不慮の事故や病気で障害が生じた人、高齢化で能力が衰えた人。世の中にはハンディキャップを抱えた人がいる。
「さまざまな境遇にある国民が、どんな施策がされたら幸せかの意見を、選挙で国政に届けることこそが民主主義の根幹」とも判決は述べた。もっともだ。
障害のある人も、ない人と同じように選挙権を使い、政治に参加できるようにする。当たり前の立法作業が求められる。
明治時代から続いた差別的な禁治産制度を一九九九年に改めたのは、ノーマライゼーションという理念に基づくものだった。選挙権を奪ってはこの理念に反する。目指すべきは共生社会だ。
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