HTTP/1.1 200 OK Date: Fri, 15 Mar 2013 00:21:11 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞: 五木寛之さんの小説『親鸞』に、こんな場面があった。仏の光…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

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 五木寛之さんの小説『親鸞』に、こんな場面があった。仏の光を求め、自らに苦行を課す若き日の親鸞が、型破りな僧侶に迫られる。膿(うみ)のあふれる腫れ物に口をつけて病の素(もと)を吸い出せ、と。「救世観音に祈るより、この子の腫れものを吸いだすことのほうが、よほど仏の心にかのうておる。どうじゃ」▼比叡山の権威から離れ民の中に入って行った親鸞と同時代に生きたのが、キリスト教の聖人フランシスコだ。彼もまた、目を背けたくなるような病人の手に唇を付けた時、新しい自分を見つけたという(川下勝著『アッシジのフランチェスコ』)▼教会が巨大な権力機構となり、神の名での殺りくがまかり通っていた時代に、フランシスコは清貧を貫いた。自ら石を背負って荒廃した教会を修理し、イスラム教徒にも剣でなく教えで向き合おうとした▼新法王がフランシスコ一世と名乗ることになった。初の中南米出身の法王として注目されるが、アッシジの聖人の名を法王が戴(いただ)くのも、初めてのことだ▼小鳥も狼(おおかみ)もこの聖人の説教には耳を傾けたといわれる。だからヨハネ・パウロ二世は環境保護に携わる人の聖人だと宣言した。徹底して平和を求め、彼に従う者たちは武器をとることを禁じられた▼やまぬ戦乱、イスラムとの対立、環境問題、そして聖職者の醜聞。なるほど、時代は「フランシスコ」を求めている。

 

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