一九五二年に講和条約が発効した四月二十八日。安倍内閣は「主権回復の日」として政府主催式典の開催を決めたが、米軍統治が始まった沖縄県では「屈辱の日」に当たる。心の底から祝えるのか。
「主権回復の日」式典を政府主催で開くのは今年が初めてだ。安倍晋三首相はその理由を「(終戦後に)七年という長い占領期間があったことを知らない若い人たちが増えている。節目の日を記念し、わが国による国際社会の平和と繁栄への貢献の意義を確認する」と説明した。
敗戦後の占領からの再独立、主権回復を祝うのは、日本国民なら当然といえる。焦土から驚異的な復興を成し遂げた先人の労苦をしのぶ機会になるかもしれない。
安倍総裁率いる自民党は二〇一二年十二月の衆院選で、政府主催式典の開催を公約したが、それ以前の選挙公約には見当たらない。
政権奪還に向け、保守層の支持を得ようと公約に入れ込んだのなら、党利党略が過ぎないか。
主権回復の日を強調することで占領下に制定された日本国憲法の正統性に疑問を呈し、憲法改正の機運を高めようという狙いもあるとしたら、素直には祝えない。
日本の不可分の一部である沖縄県、奄美群島、小笠原諸島にとっては、この日が本土から分離され、苛烈な米軍統治の始まりだったことも、忘れてはなるまい。
特に沖縄県内には本土復帰後も在日米軍基地の74%に当たる基地が残り、米軍の排他的な使用、管理が続く。在日米軍の軍人・軍属が事件、事故を起こしても、特権的な法的立場が認められている。
これらは日米地位協定に基づくが、あまりにも治外法権的と言えまいか。日本政府は民主党政権時代を含め、運用改善に努めても、改定を提起しようとすらしない。
安全性に疑問が残る垂直離着陸輸送機MV22オスプレイや米軍機が、日本提供の訓練空域でないルートを飛び回る姿は、日本がいまだに領空の主権を完全には回復していない現実をも見せつける。
安倍内閣がこれら「半主権」的状況の改善に本腰を入れるのならまだしも、放置しながら主権回復を祝うのは独善的に過ぎないか。
主権行使できない状況が続く北方領土や竹島が日本国民の手に戻る。地位協定が改定され、沖縄の米軍基地負担も抜本的に軽減される。そうした「真の主権回復」の日が来るまで祝うのは待ちたい。
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