「心にふたをすると、中はうみでぐちゃぐちゃになる。うみを出して縫い合わせる作業が必要なんです」。宮城県名取市の心療内科医桑山紀彦さんには、被災者の多くはまだ津波に向き合えていない、という思いがある▼開業していたクリニックが被災。自家発電機を回して救援に当たった桑山さんは、ユーゴ紛争やスマトラ沖大地震などの医療支援にかかわり、被災者らに寄り添ってきた▼命の危険を感じた人が心の傷を放置すれば、やがて心的外傷後ストレス障害(PTSD)という魔物になり心を蝕(むしば)む。そんな現場を見てきた医師が引き受けたのは、住民の一割以上が犠牲になった閖上地区の子どもたちの心のケアだ▼震災前の街並みや目撃した津波の光景を紙粘土などで再現してもらい、短編映画の制作などを通じ、埋もれた記憶を整理する手助けをしてきた。「あの日」と向き合えるようになると、未来を描く力が湧く。心配なのは大人なのかもしれない▼「つらくて忘れたいのは当然。でも、いつかふたを開け、あの日のことを吐き出さなければならないのに、忘れれば楽になる、と思っている被災者が多い」と桑山さんは心配する▼記者に話をすることで、つらい記憶が整理される人もいるという。被災者の言葉にひたすら耳を傾け、伝えてゆく。地道な積み重ねが、風化を防ぐことにつながると信じている。