「わらう」は普通、笑うと書くが、全十三巻という超大型辞書『日本国語大辞典』を引けば、驚くほど多彩な「わらう」がある▼「听う」は口を大きく開けてわらうことで、「莞う」は感じよくほほえむこと、「嗤う」はあざけりわらうことだ。軍国主義が台頭し、言論弾圧が厳しさを増していた一九三三年、軍の空襲への備えを嗤った新聞人がいた▼その人、桐生悠々が書いた「関東防空大演習を嗤ふ」は日本の新聞史上、特筆すべき名論説として、記憶される。首都上空で敵機を迎え撃つ作戦など滑稽極まる。数機撃ち漏らせば、木造家屋の多い東京は炎上すると、彼は書いた▼<阿鼻叫喚(あびきょうかん)の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだらう…しかも、かうした空撃は幾たびも繰返へされる可能性がある>。この指摘が現実のものとなり、大空襲で東京の下町が壊滅、十万の犠牲者を出したのは、四五年三月十日のことだ▼桐生なら、この「作戦」をどう評するだろうか。原発事故に備えての「地域防災計画」が各地で作られつつある。原発三十キロ圏内には四百万人以上が住む。本当にその安全を守り切れるのか▼守るために、最も効果的かつ簡潔な作戦がある。原発を動かさなければいいのだ。地震や津波と違って、原発事故はあくまで人災である。であるのに再稼働を決め込む政権を、「嗤ふ」。