永六輔さんに初めての子どもが生まれた時、浅草のお寺の住職だった父の忠順さんはこう諭した。「父親になったんじゃない、父親にさせてもらったんだ。私も君に父親にさせてもらったんだからね」▼お父さんにさせてもらったことが、うれしくて仕方ない人だったのではないか。北海道湧別(ゆうべつ)町の岡田幹男さんは猛烈な地吹雪の中、小学校三年の長女を一晩中、胸の中に抱きかかえ、自らのぬくもりで幼い命を守った▼二年前に妻を亡くし、長女の夏音さんと二人暮らしだった。養殖業を手掛けながら、一緒に朝ご飯を食べるために漁の時間を遅らせることもあったほど子煩悩な人だった▼娘の好きなハンバーグをよく作った。お父さんの料理は豪快になりがちだが、娘のために焼いたハンバーグはどんな味だったのだろう▼<しごとからかえってくると/おとうさんは/わたしの木になってくれます。わたしは/おとうさんの木によじのぼります。…まもなく/イテッ/イテッ/イテッ/まき子はおもいなあ/といって/おとうさんの木は/おれてしまいます。そうすると/わたしのうちはゆうはんです>(山田まき子『おとうさんの木』)。この詩のように、父と娘だけでも温かい団らんの光景が浮かぶ▼北海道を襲った暴風雪で多くの人が亡くなった。春はもうすぐなのに、自然の猛威の前に無力であることが悔しい。