HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 77813 Content-Type: text/html ETag: "144e65b-3154-a46f4400" Cache-Control: max-age=2 Expires: Wed, 06 Mar 2013 00:21:03 GMT Date: Wed, 06 Mar 2013 00:21:01 GMT Connection: close
中国の国会、全国人民代表大会(全人代)が始まった。胡錦濤(フーチンタオ)国家主席と温家宝(ウェンチアパオ)首相が引退し、習近平(シーチンピン)、李克強(リーコーチアン)[記事全文]
「市民の議決」に対する風当たりがきつい。検察審査会の判断をうけて強制的に起訴された事件は7件あるが、一審判決がでた4件を見ると、1件が有罪、3件は無罪や免訴となった。こ[記事全文]
中国の国会、全国人民代表大会(全人代)が始まった。
胡錦濤(フーチンタオ)国家主席と温家宝(ウェンチアパオ)首相が引退し、習近平(シーチンピン)、李克強(リーコーチアン)両氏に引き継ぐ。これで党、軍、国家の権力移行が完了する。
習・李体制の今後を占ううえで、強い懸念を抱かざるをえないことがある。
習氏が昨年11月に共産党トップの総書記に就いた後、「中華民族の偉大な復興」を唱え、ナショナリズムと富国強兵を繰り返し強調していることだ。
昨年末には、その実現に向けて「強固な国防と強大な軍隊を建設する努力」を訴えた。
一方、軍の機関紙は今年1月、軍総参謀部が全軍に戦争の準備を指示したと報じた。尖閣諸島をめぐる日本との緊張激化を受けたものだ。
「中華民族の偉大な復興」という言葉の裏には、列強に虐げられた近代の記憶があるのだろう。だが、それを強調するあまり、対外強硬姿勢をあおるようなことになっては困る。
総書記と同時に軍トップに就いた習氏は、ひんぱんに部隊を視察するなど軍への配慮が際だっている。権力基盤を固める狙いだろうが、軍の影響力が強まることには危惧を感じる。
5日に発表された13年の予算案によると、国防予算は前年実績比10・7%増の7406億元(約11兆1千億円)にのぼる。3年連続2けたの伸び率で、日本の防衛費の2倍以上だ。
全人代では開幕前日の記者会見で国防予算が発表されるのが恒例だったが、今年は見送られた。軍備増強に注目が集まるのを嫌ったからと見られる。
国際社会の懸念を感じているのなら、何がそれを招いているのか自省し、振る舞いを正していくべきではないか。
指導部が軍を十分に統制できていないことをうかがわせる事件もあった。
1月にあった自衛隊艦船などへのレーダー照射だ。当初、中国側は「知らない」としていたが、その後、日本による「ねつぞう」と反論に転じた。
指導部に知らせないまま、海軍や部隊レベルで照射を判断した可能性がある。こんなむちゃな行動が続けば、取り返しのつかないことになりかねない。しっかり統制するよう求める。
胡・温体制の10年で未曽有の経済成長を遂げた中国だが、貧富の格差拡大や汚職の蔓延(まんえん)、大気汚染など、成長のひずみを覆い隠せなくなっている。
習指導部を取り巻く環境は厳しい。だからといって、国内の不満を外に向けて解消するような手法は厳に慎むべきだ。
「市民の議決」に対する風当たりがきつい。
検察審査会の判断をうけて強制的に起訴された事件は7件あるが、一審判決がでた4件を見ると、1件が有罪、3件は無罪や免訴となった。この結果は重く受けとめねばならない。
被告の負担も大きい。しかしだからといって、制度を否定したり、意義を軽んじたりするのは性急にすぎる。事例を重ね、課題をみいだし、正すべき点を正す。それがめざす道だ。
この手続きは国民の司法参加の一環として導入された。
4年前まで起訴の権限は検察が一手ににぎり、自らの判断基準にてらし有罪と考えるものだけを罪に問うてきた。公判はそれを確かめる場に矮小(わいしょう)化され、検察は強大な力を背に独善的な体質を強めていった。
こうした硬直した刑事司法に一般人の目をいれ、風穴をあけるのが改革のねらいだった。
もちろん、いまの運用に問題がないわけではない。
▽審査の過程で容疑者側に言い分を述べる機会を保障する。
▽審査員の助言役である「補助弁護士」を複数にするなどして、多様な見方や情報をふまえて判断できるようにする。
▽議決書の質を向上させ、国民への説明責任を果たす。
▽検察官役をつとめる「指定弁護士」の権限を明確にし、サポート体制を充実させる――。
こうした手直しは必要だ。
識者のなかには、検察が嫌疑不十分とした事件は強制起訴の対象外とし、「嫌疑はあるが起訴を猶予する」としたものに絞るべきだという声がある。
この考えには賛成できない。検察の監視として不十分だし、「証拠を正しく評価し、事実を認定する力は国民にはない」と言うのと同じではないか。
法廷で審理されたことで、私たちが知りえた事実は多い。兵庫・明石歩道橋事故の警備態勢のお粗末さや、小沢一郎衆院議員の政治資金収支報告に対する認識の甘さは、その好例だ。
一方で注意すべきは、「裁判に持ちこむことが真相解明と再発防止に役立つ」といった考えにもとづいて書かれた起訴議決が散見されることだ。
一定のルールの下、個人の責任を問う刑事手続きには、おのずと限界がある。過度な期待はひずみをもたらす。
事故の原因や背景を究明するしくみの不備。政治とカネの問題を放置した国会・政党……。
検察審査会の活動は、制度自体のあり方にとどまらず、こうした課題を解決していく大切さを、社会に突きつけている。