一九五四年の三月一日、太陽は西から昇ったかのように見えた。船員たちがそう錯覚するほど強烈な光が、ビキニ環礁で漁をしていた第五福竜丸から見えた。やがて甲板に、米国の水爆実験で出た死の灰が雪のように積もった▼『ここが家だ』(集英社)は、米国の画家ベン・シャーンさんが第五福竜丸の悲劇を描いた一連の絵を使って、詩人のアーサー・ビナードさんがつくり上げた絵本だ▼「原水爆の被害者は、俺たちで終わりにしてもらいたい」と言って死んでいった無線長の久保山愛吉さんの姿を、画家はこんな思いを込め描いたという。「亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、わが子を抱き上げるすべての父親だ」▼ビナードさんはその絵に詩をつけた。<ひとびとは わかってきた−ビキニの海も 日本の海も アメリカの海も ぜんぶ つながっていること。原水爆を どこで爆発させても みんなが まきこまれる。「久保山さんのことを わすれない」とひとびとは いった。けれど わすれるのを じっと まっている ひとたちもいる>▼忘却を待つどころか、当時の日米両政府は国民の反核反米世論をかわすため、原子力の平和利用キャンペーンを巻き起こし原発建設にこぎ着けた。その延長線上に、福島の事故は起きた▼いま一度、第五福竜丸の悲劇を思い起こしたい、六十年目の春だ。