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2月生まれの人には申し訳ないが、この月が短いのを喜ぶ人が寒地には多いようだ。新潟育ちの詩人堀口大学もそのひとりで、「太陽暦の作者は雪国に親切だった」と言っていたのを前にも書いた。2月が尽きれば、「待ちに待たれた3月が来る」と▼東京あたりでも、今年はその感が強い。雪国はひとしおだろう。青森の酸ケ湯(すかゆ)では積雪が566センチを記録した。走り高跳びの世界記録はとうに超えて、棒高跳びのそれに迫る。だが、きょうから3月、弥生(やよい)である▼〈カレンダーめくると春が迸(ほとばし)り〉ときのうの朝日川柳にあった。そのとおりに暦の写真は一気に春めく。菜の花が揺れ、桃が咲いて、遠くには雪解けの山なみ。定番の春景色が、冬のモノトーンの殻を割る▼雪深い地方でも3月の声を聞けば、きょうはきのうの冬ならず、の気分になることだろう。幼い春に、老いる冬が少しずつ道をあけていく。雪崩や落雪への警戒は怠れまいが、つららが日差しにとけて、きらきら滴(したた)る明るさはいい▼〈弥生ついたち、はつ燕(つばめ) 海のあなたの静けき国の 便(たより)もてきぬ、うれしき文(ふみ)を……〉とイタリアの詩人ダヌンツィオはうたう(「燕の歌」上田敏訳)。春を迎える喜びは、いずこの国も変わらない▼だが、そのあとに〈弥生来にけり、如月(きさらぎ)は 風もろともに、けふ去りぬ〉という一節があって、2月はどうも不遇である。浅い浅い春を、冬の底から育ててくれた月である。その背中を見送りながら、人と自然は新たな時へと歩む。