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日本にやってきた異国の人の「発見」に教えられることは少なくない。明治時代に東大で教えた英国人チェンバレンは、日本語には火事をめぐる語彙(ごい)が多いのに驚いた。付け火や粗相(そそう)火(失火)、貰(もら)い火をはじめ火事見舞いまで多々あげて、「これでも半分にもならない」と記している▼多彩な語彙の背景を、木と紙でできた都市ゆえだろうと説いていた。火災の多発が風俗や習慣に深く根をおろしている、と。なるほどと思って読んだその著作を、東京の老舗そば店「かんだやぶそば」の火事で思い出した▼東京都の歴史的建造物でもあった木造の、残念な災難だった。大空襲にも焼けず、作家の池波正太郎が「むかしの町の香りを辛うじて残している」と懐かしんだ一角の店である。食通で鳴らした池波は、あの世で嘆息していることだろう▼人の被害のなかったのが救いだが、全国を見れば連日、火災で命が奪われている。犠牲者は毎年1〜3月が図抜けて多い。炎の跳梁(ちょうりょう)を最も用心すべき季節である▼わけても高齢の人は細心を尽くしたい。長崎のグループホームで4人が亡くなったのは記憶に新しい。年間死者の6割強が65歳以上という現実は、誰にとってもひとごとではない▼この国では「火事はいつも恐れられている敵である」とチェンバレンは書いた。木と紙の家並みは変わったが、言葉は今も意味深い。時は流れても、燃えさかって生命財産をなめる炎は敵でしかない。折からの寒波、心の拍子木(ひょうしぎ)を忘れず鳴らしたい。