HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 64738 Content-Type: text/html ETag: "11794de-1cb8-c78efc0" Cache-Control: max-age=1 Expires: Wed, 20 Feb 2013 23:21:53 GMT Date: Wed, 20 Feb 2013 23:21:52 GMT Connection: close
こうした事件が起きると、いまや伝説になったアメリカの一少年の叫びを思い起こす。「うそだと言ってよ、ジョー」。1919年の大リーグ八百長疑惑で、名選手ジョー・ジャクソンらが球界を追放された。裁判所で、無実を願う少年が言ったとされる、悲痛な呼びかけだ▼南アフリカの「義足のランナー」にも同じ言葉が飛んだだろうか。殺人容疑で逮捕されたオスカー・ピストリウス容疑者(26)が、保釈の審理のために法廷に立った。南アの国内は、墜(お)ちた英雄の話で持ちきりらしい▼故意か、過失か。検察と弁護側の言い分は異なる。ともあれ、彼の撃った銃弾が恋人の命を奪ったのは間違いないようだ。口論する声が聞こえたとの報道もある▼銃は護身用だったという。だが銃で身を守るどころか、家族や知人を殺してしまう悲劇は銃社会の米国でも多い。たとえば夫婦げんかで、日本なら茶碗(ちゃわん)を投げて収まるところを、かっとなってズドンと撃つ。我に返って泣き叫んでも、涙は弾(たま)に追いつかない▼それにしても、日本で世界で、この青年の不屈の魂を授業の素材にした学校もあったろうと想像する。小欄も昨夏に取り上げた。人とたばこの善(よ)し悪(あ)しは煙になるまでわからない、という。生きている人間とは、定まりのつかないものだ▼むろん障害者スポーツとは何の関係もない事件である。だがここに来てドーピングの疑惑まで浮上してきた。「不吉な道具」の罠(わな)に落ちたアスリートの転落を、いまはただ悲しむばかりだ。