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2人の女の子のあとに生まれる子は、「次は男の子」と待ち望まれた。ところが女の子だった。父親は名前の由来を、がっかりしないで喜ぼうと「悦子」と名づけたと、冗談まじりによく話していたそうだ▼家では活発なことが喜ばれ、自由にのびのびと育った。だが世間の風にあたると男社会の壁に阻まれた。ことあるごとにぶつかる壁が血を騒がせたという。岩波ホールを任されたときも「女が責任者だからつぶれる」と言われ、負けん気が燃えた▼ほぼ半世紀にわたってホールを率いてきた高野悦子さんの訃報(ふほう)を聞いて、そのスクリーンで見た映画を胸に浮かべた人もあろう。古書の町、東京・神保町にある小さな空間は、商業主義に敬遠された佳作の、いわば殿堂だった▼実は監督をめざしていたが、それも「壁」にはね返された。悶々(もんもん)とする時をへて、埋もれた映画を掘り起こして観客との懸け橋になる仕事に光を見いだす。「興行にも創造がある」と語っていた言葉が忘れがたい▼橋を架けた名作は、「大地のうた三部作」「家族の肖像」「旅芸人の記録」「芙蓉鎮(ふようちん)」「大理石の男」「八月の鯨」……まだまだある。映画文化の幅を広げ、奥行きを深めた仕事の、スケールの大きさをあらためて思う▼興行である以上、胃が痛むような「冒険」もあったろう。だが「これが人生最後の上映になっても悔いなし、と思う映画だけを紹介してきました」という信念に揺るぎはなかった。83歳の生涯に映画ファンの感謝は尽きない。