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6大都市の時代があった。東京、大阪……のあとが続く人は社会科が好きに違いない。経済が膨らみ続けたあの頃、都市の夢は人口を増やして「6大」に連なることだった▼北九州市の誕生から、あすで50年になる。八幡、小倉、門司、若松、戸畑の5市が対等合併し、百万都市に仲間入りした。なにしろ国連が調査団をよこす一大事。東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸の先輩都市からは、それぞれの「ミス」が着物姿でお祝いに駆けつけた▼新市名の最終選考には、西京、北九、昭和、九州も残ったが、各市にわたる工業地帯と同名に落ち着いた。小倉出身の作家、松本清張は「ズバリそのもので結構」と賛辞を寄せている▼明治期に7万あった集落は、昭和、平成の合併を経て1700ほどの市町村に再編された。自治体のムダを削ろうと、国が促した結果だ。北九州のように、行政区を持つ政令指定都市は20を数える▼「平成の大合併」は、地方議員を4割、2万人以上も減らした。とはいえ周縁部となった地域は衰退しがちで、住民サービスの低下も言われる。合併は地方分権に資するのかどうか、識者の見方は分かれる▼基幹産業を直撃した「鉄冷え」が響き、北九州市の人口は合併時の103万から97万に減った。往時の新聞には「広島も札幌も川崎も追い越し、福岡より大きい」とあるが、その後すべてに抜き返された。他市を含め、暮らしはその規模ほど「立派」になっていない。都市合併は、宿題を抱えて走る。