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60歳にして、なお若々しいのか成熟が遅いのか、日本のテレビ放送に還暦の言葉は似合わない。画面では昨日と同じ芸人やアイドルが、昨日と同じ笑顔ではじける▼NHKの放送開始は1953(昭和28)年2月、受信契約は866件だった。半年ほど遅れて民放の日本テレビが開業する。「宣伝の価値は受像機より視聴者の数」と、220台を街頭に配し、プロレスやプロ野球を中継した。皇太子ご成婚や東京五輪を経て、テレビは黄金期を迎える▼「指先からつま先まで、打席や捕球といったプレーの一挙手一投足は、常にテレビを意識していろいろ考えましたねえ」。ほかならぬ長嶋茂雄さんの述懐だ(『あの日、夢の箱を開けた!』小学館)。創(つく)る側、観(み)る側ともに熱かった▼夢の箱は薄くなり、オールドメディアになった。生活に溶け込む一方、見入るのは「同世代」の中高年らしい。視聴率に縛られた番組作りなど、とかくの批判も聞く。誰にも一家言と付き合い方がある▼故阿久悠(あくゆう)さんは、台本と首っ引きの進行ぶりを早くから難じていた。「命綱を十本もつけた空中サーカスを誰が見に行くだろう」と。なるほど、筋書きのないスポーツの生放送は人気を保っている▼片や黒柳徹子さんのように、「社会を良くする力」を信じて関わってきたテレビ人も多い。倍の齢(よわい)を重ねた新聞の目にも、できることはまだあるように見える。箱の夢は尽きたのか、それを大衆が共有する知恵はないのか。探るだけの価値はありそうだ。