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勧進帳(かんじんちょう)の弁慶は、安宅(あたか)の関で機転を利かせて義経をまず逃がし、勇躍あとを追う。手足をはね上げる「飛び六方(ろっぽう)」で花道を急ぐ幕切れは、荒事(あらごと)らしい見せ場だ。市川団十郎さん66歳。弁慶の包容力で伝統芸を守り抜くも、早すぎる六方となった▼19の時に先代に逝かれた。家芸の「歌舞伎十八番」などを父からきちんと教われなかった苦労ゆえ、自らは持てる技と心のすべてを子に、まだ見ぬ孫に伝えたい。そんな思いは、晩年の闘病を支えもしただろう▼急性白血病で倒れたのは2004年、長男海老蔵さんの襲名披露のさなかだった。5カ月後のパリ公演が復帰の舞台となる。忘れがたいのは、海老蔵さんいわく「ふとんの中でも練習していた」仏語の口上だ。その誠意は客席の隅々にまで伝わり、一文ごとに拍手である▼若い世代の海外公演を、「役者には貴重な経験、お客さんには明日の歌舞伎を知ってもらう良い機会」と語っていた。名門成田屋の主(あるじ)は、一門より歌舞伎界の将来を見据えていたらしい▼やんちゃ息子が夜の街で殴られた時には、「人間修業が足らなかった」とわびた。自宅前で、遠慮のない取材にも律義に応じる姿が胸に残る。芸に劣らず、人間も大きかった▼歌舞伎の守り神は、昼寝でもしていたか。先の中村勘三郎さんに続いて伝統文化の損失である。立春の陽光の下で、建て替え工事をほぼ終えた歌舞伎座が2カ月先の初舞台を待つ。海老蔵さんら次世代の奮起を、天から大きな目が見守ることになる。