一昨年に大津市であった中学二年男子生徒の自殺はいじめが原因だったことが示された。市の第三者調査委員会が事実を積み重ねてたどり着いた結論だ。教育現場は教訓を真剣に受け止めねば。
「やはり息子は学校に見殺しにされたという思いだ」。第三者委の調査報告書に目を通した男子生徒の父親はそう心境を語った。
当然だろう。追い詰められていく息子に救いの手が差し伸べられることはなかったことがはっきりしたのだから。それどころか、体面を保つことのみに腐心する学校や市教育委員会の対応ぶりがそこには記されていた。
生前には一方的なひどい暴力を見聞きしたと周りの子たちが訴えても耳を傾けず、両成敗とすべき仲間内のけんかとして片付けていた。いじめと闘う気概ははなから失われていたのだろう。
死後には民事訴訟を警戒して法的責任から逃れようという思惑が働いたようだ。根も葉もない「父親の虐待」という架空話に乗じて自殺といじめの関わりを否定しようとした。原因究明と再発防止の取り組みを放棄したのだ。
学校や教委のこうした隠ぺい体質や事なかれ主義は、深刻ないじめや体罰が明るみに出るたびに必ず指摘される。子どもたちを守るために大急ぎで改善せねばならない全国共通の課題である。
自殺といじめの因果関係に踏み込んだ第三者委の姿勢は、今後の自殺調査の在り方を示している。これまで子どもの自殺原因の多くは不明とされたり、曖昧にされたりしてきたからだ。
第三者委は、学校や市教委が情報公開に後ろ向きだとして信用を損ねた反省に立ち、越直美市長が主導して立ち上げた。市側だけではなく遺族側が推薦する委員を加えた異例の人選だった。
なぜ息子は自殺しなければならなかったのか。遺族側のそうした痛切な思いを尊重し、それに応えねばならないという越市長の強い意向が表れたのだろう。
調査の公正性に疑いが持たれないよう責任追及の場ではなく、真相解明の場として事実のみを丁寧に積み重ねた。聞き取りは同級生ら延べ五十六人、九十五時間に及んだ。
学校も教委も子どもたちを隠れみのにして責任逃れをしてはならない。いじめや体罰をなくすには現実と向き合うことが大切だ。子どもたちが命を絶ったり、けがをしたりしてからでは遅すぎる。手厚い予防策を望みたい。
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