HTTP/1.1 200 OK Date: Wed, 30 Jan 2013 22:21:52 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞: 東京・新橋にどきっとさせられる名物菓子がある。その名も「…:社説・コラム(TOKYO Web)
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 東京・新橋にどきっとさせられる名物菓子がある。その名も「切腹最中(もなか)」。浅野内匠頭(たくみのかみ)が腹を切った田村右京太夫の屋敷跡に、大正元年創業の和菓子店「新正堂」が店を構えていたことに由来する▼新商品を売り出そうと、三代目の渡辺仁久さんが知恵を絞ったのは約二十年前。開いた皮の中に餡(あん)がたっぷり入った最中を試食してもらうと、味は評判が良いのに、名前は「縁起が悪い」などと反対意見が圧倒的だった▼二年半悩んだ末、だめでもともとと商品化した。証券会社の支店長が多額の損失を与えた得意先に謝りに行く時、切腹最中を持参すると、笑って許してくれたというエピソードが有名になり、おわびの手土産として評判に。今では一日に千二百、十二月には四千個が売れる看板商品だ▼吉良邸に討ち入った吉田忠左衛門ら、ゆかりの子孫が店を訪ねてきた。浅野家の当主が来た時は、勝手につくったことを叱られると身構えたが、「忠臣蔵を広めてくださってありがとうございます」と礼を言われたそうだ▼赤穂浪士の討ち入りは旧暦の元禄十五年十二月十四日。新暦に換算すると、一七〇三年一月三十日になる。三百十年を経ても物語は形を変えて演じられ、日本人の心を揺さぶる▼屋敷跡は近く開通する「マッカーサー道路」の一部になった。「浅野内匠頭終焉(しゅうえん)之地」と彫られた石碑が残っている。

 

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