HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 65237 Content-Type: text/html ETag: W/"e0a9a0-1c6d-6d47d2c0" Cache-Control: max-age=2 Expires: Mon, 28 Jan 2013 00:21:09 GMT Date: Mon, 28 Jan 2013 00:21:07 GMT Connection: close
大ニュースではないが、驚いてしまう記事がある。3年前にこんな記述があった。ある人が幼稚園で講演したとき、若い母親に「お茶って自分の家で作れるんですか」と聞かれた。「はい」と答えると、彼女はこう言ったそうだ▼「私のお母さんがお茶を作っているところ、見たことがない。いつもペットボトルのお茶を飲んできた」。彼女はどうやら、お茶を「いれる」という言い方も知らないらしい▼一昨年も似た記事があった。料理教室の先生に、急須を「これは何ですか」と聞く受講生がいたという。だが、そうした例が驚くにあたらないのを、きのう東京で読んだ記事で知った。日教組の教研集会で「今の高校生は日本茶の入れ方を知らない」という報告があったそうだ▼福岡県立高校の家庭科教諭が生徒にアンケートしたら、冬に家で飲むお茶を「急須でいれる」と答えたのは2割しかなかった。授業では急須を直接火にかけようとする生徒もいたという▼おそらくは「粗茶ですが」や「茶柱が立つ」といった言葉も知らないのだろう。市販の飲料は手軽でいいが、文化や歴史をまとう「お茶」と無縁に子らが育つのは寂しい▼「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」と言ったのは大名茶人の松平不昧(ふまい)だった。庶民もお茶でもてなし、もてなされる。いれてもらったお茶は、粗茶でも心が和むものだ。コンビニエンス(便利)と引き換えに大事なものをこぼして歩いているようで、立ち止まりたい時がある。