HTTP/1.1 200 OK Date: Tue, 22 Jan 2013 20:21:50 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:大鵬死去 志を受け継いでほしい:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

大鵬死去 志を受け継いでほしい

 土俵を去って四十年あまり。それでも「大鵬」の名は常に大相撲の中で輝き続けてきた。急逝した元横綱の存在は誰にもまして大きかった。その姿に学ぶことはいまも少なくないはずだ。

 元横綱大鵬の納谷幸喜さんが十九日、七十二歳で死去した。一九六一(昭和三十六)年、二十一歳の若さで横綱に昇進し、十年にわたって角界の頂点に君臨した。三十二回の幕内優勝は歴代最多。全勝優勝八度も最多タイ。長い大相撲史の筆頭に書かれるべき名力士の一人だ。

 数々の記録もさることながら、なにより印象的だったのはその圧倒的な存在感だった。均整のとれた長身。端正な顔立ち。落ち着いた取り口を崩すことなく、どんな相手も真正面から受け止めて白星を重ねた。まさに横綱相撲。その姿は、山脈の中でひときわ高くそびえる高峰を思わせた。「巨人・大鵬・卵焼き」と流行語にもうたわれたのは、この大横綱が相撲やスポーツの枠を超えた存在だったからだろう。

 だから「大鵬」の名はいつまでも色あせなかった。一代年寄となって大鵬部屋を開いてからは、若くして脳梗塞を患うなど不運も味わい、相撲協会のトップにはつかなかったが、後進の指導や大相撲の発展にそそぐ情熱はまったく衰えなかった。日本の高度成長と時期を同じくし、社会の隆盛を象徴するかのような活躍を見せた英雄の旅立ちは、古き良き時代がまたひとつ去っていったという思いを抱かせる。

 ただ、名横綱の生涯からはいまも学ぶことが少なくないはずだ。けっして天分だけで強くなったわけではない現役時代。一八〇センチを超える身長はあったが、入門したころの体重は七〇キロ台だった。柔軟かつ強靱(きょうじん)な体をつくり、相手の力を吸い取ってしまうといわれた盤石の取り口を練り上げたのは、誰より積み重ねた猛げいこだったのである。病に倒れた時も懸命のリハビリで再起を果たし、また評論などでは辛口の正論を吐露して緩みがちな相撲界の空気を引き締めてきた。常に背筋を正し、揺らぐことのない信念に従って真っすぐに生き続けた姿勢は、いまのこの時代にこそ、あらためてかみしめるべきではないか。

 相次ぐ不祥事などでかつての活気を失っている大相撲。その様子を大鵬さんは誰より憂えていたに違いない。相撲界はいまこそ、大横綱が生涯持ち続けた志をしっかりと受け継いでほしい。

 

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