アルジェリアの人質事件に対する同国軍の救出作戦は、必要な決断だったかもしれないが、もう少し慎重に、協調的に、できなかったものか。生還と同時に犠牲の情報を聞くと、悔いも課題も残る。
きのうも記したが、アルジェリアには軍事政権とイスラム組織との内戦でおびただしい血を流してきた歴史がある。
ことし七十六歳になるブーテフリカ大統領は、フランスからの独立戦争に参加し非同盟主義を掲げたブーメジエン政権下で、世界最年少の外相として知られた。非同盟とは外国と軍事同盟を結ばず、外国の軍隊の基地を置かないということである。
ブーテフリカ体制は、テロに対し断固たる措置をとることで、資源が豊富でも外国人が怖くて入れないような国のテロを激減させてきた。国民の支持もある。
身代金は、テロ組織を太らせ国家、国民を脅かす。外国資本は退き、この地域がアフガニスタンのような無法地帯になれば世界が困る。人質とともに施設外へ出れば解決はさらに難しくなる。
好機をとらえ、果断に行動に出ることは軍事作戦の基本である。
しかし、人質をとられていた日本をはじめ、英米などからは、突入の事前通告がなかったことに不信の声が聞かれる。無人飛行機や特殊部隊、経験の蓄積もある。
救出作戦の主体はアルジェリアにせよ、犠牲が最小となる協力作戦はとれなかったか、という悔いが残る。犠牲が出れば、自国民に対する説明も必要にもなる。
テロの形態は一件ごとに違う。しかし、解決法や外交のありようでは大きな反省点を残した。
何がよくて、何が悪かったか。政府には事実関係を詰めたうえでよく検討してほしいし、できるだけ公表してほしい。国民の生死の問題なのである。
人質事件はむろん、憎むべきだが、イスラム社会では欧米の“搾取”に反対する行動には民衆の共感が集まりやすい。そこにイスラムテロがなくならない土壌のようなものがある。貧困や失業だけでは説明しきれない民族的、また歴史的なものがある。
日本は、先人らの活躍もあり、アラブ、イスラム諸国からはアジアの仲間として親しまれている。欧米諸国にはできないような貢献もできるはずだ。
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