HTTP/1.1 200 OK Date: Thu, 17 Jan 2013 20:22:34 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞: 亡くなった大島渚監督の作品の中で強く印象に残っているのは…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

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 亡くなった大島渚監督の作品の中で強く印象に残っているのは、数年前にリバイバルで見た「日本の夜と霧」だ。松竹ヌーベルバーグ(新しい波)の旗手として注目を浴びていた一九六〇年の作品である▼長回しのカメラによる討論劇を通じて、六〇年安保闘争の党派性を暴いた問題作だ。四日目で上映打ち切りになったことに抗議し、大島監督は松竹を退社する。女優の小山明子さんと結婚する直前の出来事だった▼独立プロを設立したものの、三年間は仕事がなく、小山さんが生活費を稼いだ。「大島はヒモだ」といわれることもあったという。この当時のエピソードを小山さんが自著『しあわせ日和』で明かしている▼夫婦でカレーのCMへの出演依頼があった。破格のギャラだったが大島監督は断った。「普段家では着物で過ごしているから、家庭のシーンを撮るなら着物でなければ出ない」というだけの理由だ。頑固さはこのころから折り紙付きだった▼不遇の中でも、やがて世間は才能に気付くと小山さんは信じていた。「いつか世界に通用する監督になって、君をカンヌ映画祭に連れて行く」。ラブレターに書いた通り、大島監督はカンヌに妻を五回連れて行った▼病に倒れてから、介護うつになってしまうほど献身的な小山さんに支えられて、金婚式も迎えることができた。最愛の妻にみとられた最期だった。

 

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