中国の週刊紙「南方週末」の記事差し替えに、記者たちが抗議デモに踏み切ったのは勇気ある行動だ。当局は安定を最優先に抑え込みに躍起だが、言論の自由の尊重こそが中国のためではないか。
掲載しようとしたのは憲法に基づく民主政治を訴える内容だという。それが、習近平総書記が唱える「中華民族の偉大な復興の夢」が柱の記事に差し替えられた。
中国の憲法は、公民に言論や出版の自由を認めている。だが、こうした記事改ざんと批判されても仕方のない事態が起こるのは、党中央宣伝部が新聞や出版などを検閲し、統制しているからだ。
党の指導が憲法よりも優先するのが現状である。それでは、言論や個人の自由はないに等しい。
メディア管理の総責任者である劉雲山・党政治局常務委員は、北京での会議で「メディアは党と政府の声をきちんと伝えないといけない」と、指示したという。
メディアを「党の喉と舌」である宣伝機関とする共産党の伝統的な考えであろう。そして、メディア統制の最大の目的は、社会の安定であるという。
だが、党や政府に都合の悪いニュースを伏せ、国営新華社通信の管制情報を各メディアが一斉に使うよう求めるような態度は、健全な国民の判断力を侮るものである。それでは、真の民主社会の進展は望めない。
党中央機関紙の人民日報はじめ党報と呼ばれる新聞に対し、愛読者が増えているのは一般の商業紙などである。なぜなら、汚職腐敗などの調査報道に強く、改革志向だからだ。南方週末もそうした自由な編集方針の週刊紙である。
言論や報道の自由が、民衆の利益を守るということに、多くの人たちが気づき始めているのだ。
ネット社会でもある。「網民」と呼ぶネット利用者は五億人近いという。堅固な検閲システムをくぐり抜け、当局の隠したい情報が一気に広がる社会でもある。
二〇〇三年に北京大助教授の「中央宣伝部を討伐せよ」という論文がネットで広がった。メディア統制の闇を暴き、海外で出版されたが、中国では禁書だ。
論文は「(前略)いずれも、この母国で自由に生活し、自由に表現し、自由に話す権利を持っている」と指摘していた。
言論を封殺するのではなく、その自由を尊重してこそ、真の大国への第一歩であろう。そうした選択が実は中国のためでもある。
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