全身の骨が折れた状態で生まれた赤ん坊がいた。わずかの圧力でも骨が砕ける難病だ。幼少時は歩くこともできず、身長は一メートル以上は伸びなかった▼南フランスの音楽一家に生まれ、マイルス・デイビスやウェス・モンゴメリーなどのジャズに浸って成長した。三歳までに彼らの曲をそらんじて歌うことができ、十三歳には優れた即興ピアニストになっていた▼名門レーベルのブルーノートと米国人以外で初めて契約したミシェル・ペトルチアーニは、並外れた音楽的才能とだれにでも愛される人柄が際立つアーティストだった▼昔、来日公演を聴いたことがある。スタッフに抱えられてピアノの前に座らされた小さな人間が、こんなに力強い音を出せるのかと驚かされた。パワフルさと叙情性が同居する演奏に聞き入った▼今年、公開されたドキュメンタリー映画「情熱のピアニズム」では、名だたるミュージシャンとの共演映像のほかに、多くの女性との恋愛秘話が当事者の口から語られて興味深かった。生きることにどん欲で、障害によってあきらめたことは一度もなかった。情熱は周囲に感染した▼命を燃焼し尽くすかのように、天才ピアニストは二百回もの公演を重ねた翌年の一九九九年一月、肺炎が原因で亡くなった。三十六歳だった。今月二十八日が生誕五十年。パリにある墓地でショパンの隣に眠っている。