「奴隷だったという汚名を着せられたまま、死にたくないんです」。温和な表情と裏腹の激しい言葉に戸惑った。旧ソ連のシベリアなどに抑留された元軍人らでつくる全国抑留者補償協議会の会長だった平塚光雄さんと初めて会った十年前のことだ▼氷点下三〇度を下回る極寒と飢え、過酷な強制労働に四年間、耐えた。ただ働きでは奴隷と同じではないか−。秘めた激しい怒りが、議員会館前での座り込みという捨て身の行動につながった▼決して多くはない民主党政権の実績に、国が最高で百五十万円の特別給付金を元抑留者に支払う特別措置法の成立がある。超党派の国会議員を動かしたのは、抑留経験者の心からの叫びだった▼旧満州などで敗戦を迎え、抑留された将兵らは約五十七万五千人。五万五千人が異国で非業の死を遂げた。帰国したい一心でスターリンへの感謝状を書いた人もいる。共産主義に染まったという偏見も強く、就職に苦労した人も多かった▼十七日に八十五歳で亡くなった平塚さんの告別式がきのう、東京都内で営まれた。参列者には議員立法に尽力した鳩山由紀夫元首相、長妻昭元厚生労働相らの姿もあった▼「人のために何かをすることが好きでした。特措法ができた時の誇らしそうな、うれしそうな顔を思い出します」。喪主を務めた長女の片岡歩美さんの言葉が、人柄を物語っていた。