野田民主党から安倍自民党への政権交代。天皇、皇室観の違いから構想されてきた女性宮家創設もどうやら遠くなりそうです。それでいいのか。
きょう二十三日、七十九歳の誕生日を迎えられた天皇陛下は周囲の気づかいにもかかわらず公務について意欲的でした。
二月の心臓の冠動脈バイパス手術の後も、陛下は皇后さまとともに五月には英国エリザベス女王即位六十周年行事に出席、十一月には八年ぶり九回目の沖縄県訪問、東日本大震災の被災地へのたびたびの見舞いなど公務は以前と変わらないペースの精励ぶりでした。
◆公務ペース変えない
天皇の公務は、憲法で定められた国会の召集や衆院の解散、外国の大使や公使の接受などの国事行為と、外国首脳を迎えての宮中晩餐(ばんさん)会や国体や全国植樹祭への出席などの公的行為、新嘗祭(にいなめさい)などの宮中祭祀(さいし)などがあって年間の公務日数は二百五、六十日、昭和天皇時代の二倍にのぼるといわれます。
誕生日に先立っての記者会見での公務に関する質問にも、陛下は昭和天皇が八十歳を超しても全国植樹祭や日本学士院賞授賞式に毎年出席していたことを挙げながら「負担の軽減は公的行事の場合、公平の原則を踏まえ十分に考えなくてはいけません。いまのところしばらくはこのままでいきたい。病気になったときは皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれますから心強い」と答えられたのでした。
憲法の象徴天皇のありかたを求めつづける姿や公務を大切にする陛下のお気持ちは尊重すべきですが、かつて秋篠宮さまが天皇の定年制に言及されたように、高齢になられた両陛下のための公務の負担軽減や皇室活動の安定的維持を考えるのは政府の義務であり責任。とりわけ天皇陛下を支える皇族の減少をどうするのか、その対策は火急の案件です。
◆皇族がいなくなる
皇室で長い間の懸案だった皇位の継承問題は二〇〇六年九月の秋篠宮家の悠仁さまの誕生で、天皇陛下−皇太子さま−秋篠宮さま−悠仁親王と引き継がれていく見通しがたちましたが、その悠仁親王が天皇に即位する頃には天皇とその家族以外に皇族はだれもいなくなる事態に陥りかねない懸念が生まれました。
皇室典範一二条が皇族女子が天皇、皇族以外の者と結婚した場合は皇族の身分を離れることを定めているためで、女性たちの婚姻などによって現在の三笠、常陸、秋篠、桂、高円の五宮家もなくなってしまうかもしれないのです。
民主党政権が二月からの有識者ヒアリングなどを経て十月まとめた女性宮家創設を柱とした皇室制度改革の論点整理は、国民世論を分断させかねない女系天皇の是非論に踏み込むのを避けた極めて慎重な案とも思われました。
女性宮家の対象者は天皇の子や孫にあたる内親王に限定されました。具体的には皇太子さまの長女の愛子さま(11)、秋篠宮さまの長女の眞子さま(21)と次女の佳子さま(17)の三人、それも「本人の意思最優先」が原則で宮家は一代限り、配偶者や子に皇位継承の資格は生じないなどの内容で、あくまで皇族の減少を防ぐ緊急案であることが強調されていました。
政府の説明不足だったのか、寄せられた二十六万七千件の意見公募は賛成多数というわけにはいかず、女性宮家は女系天皇への道を開くのではとの警戒が根強く存在することを示しました。文化伝統を重んじ、男系の皇位継承を主張する安倍総裁は女性宮家議論を白紙に戻すことを決めたとも伝えられます。天皇は発言が許されない立場ですが、憂慮を深めているに違いありません。
〇五年の小泉内閣の「皇室典範に関する有識者会議」以来、皇室典範改正をめぐる議論が常に遭遇したのは男系天皇維持論者の強力な抵抗でした。しかし側室制度あっての男系維持だったというのもまた歴史の事実です。側室が認められない時代であるばかりか、第二次大戦後に皇籍離脱した旧宮家の復帰論も「天皇の地位は国民の総意に基づく」とされた憲法下の国民に受け入れられるかどうか。
初代の神武天皇から百二十五代の今上天皇までの歴史には八人十代の女性天皇が含まれます。そして、天皇は国民の安寧や国の発展さらには世界の平和を祈る存在です。そこに男女の別はなく、皇位もまた千数百年一系の天子によって引き継がれてきた歴史事実こそが尊く、男系か女系かではないと思われるのです。
◆許されぬ問題先送り
女系天皇の是非判断は将来世代に委ねられるにしても、急速に減少する皇族対策に時間の余裕はありません。文化、伝統を守る皇室活動の維持のためにも問題の先送りは許されないはずです。
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