韓国大統領選で与党セヌリ党の朴槿恵候補(60)が当選確実となった。国民は格差社会の是正を願う。経済成長と富の再分配をどう両立させるかが課題だ。
朴氏は韓国で初の女性大統領になる。北朝鮮と対峙(たいじ)する韓国軍の統帥権を女性に委ねるのはどうかと、懸念も聞かれた。だが、国会議員五期、党代表も務めた強いリーダーシップを示し、保守層、中高年齢層を中心に厚い支持を集めて激戦を勝ち抜いた。
父は韓国発展の基礎を築いた故朴正熙元大統領。豊かにはなったが、少子高齢化が急速に進み福祉制度はまだ不十分な祖国のかじ取りを担う。
◆経済民主化が争点に
選挙戦では与野党とも「経済民主化」をスローガンに、公正な経済活動、福祉や教育の充実を公約に掲げた。対抗馬の野党、民主統合党の文在寅候補(59)は大企業の活動を規制すると訴えた。
スマートフォンに高画質テレビ。韓国製品は世界各国で日本製をしのぐ。自動車も欧米市場で激しく追い上げる。「グローバル化」を掲げた李明博大統領の政策によって、国際的な地位は飛躍的に高まった。
ところが、繁栄の果実はオーナー一族が実権を握る財閥(チェボル)と呼ばれる大企業が手にした。電子機器を中核として八十の系列企業を持つサムスングループの売上高は、国内総生産(GDP)の約20%を占める。
中小・零細企業の経営は悪化した。年金、福祉政策はまだ十分整備されず、高齢者の自殺がこの十年で倍増した。大学進学率は八割近いが、若年層の失業率は、就職を目的に留年する人を含めると10%を超えるといわれる。
朴氏は李大統領の競争原理を重視する政策とは一線を画し、福祉や教育予算を大幅に増やす中道路線を前面に出した。これで保守、既得権層の代弁者という批判をかわすことに成功した。
◆苦難乗り越えた強さ
朴氏は演説で「国民すべてを家族と思い、母親の気持ちで職務をする」と述べ、優しさも印象づけようとした。
二十代で父母を亡くした。母陸英修氏は一九七四年、式典出席中に会場にいた男が撃った銃弾で死去した。大学生だったが、大統領府に入って執務を手伝い、父の視察にも同行してファーストレディー役を務めた。
五年後、今度は父が側近に撃たれて世を去る。血に染まった父のワイシャツとネクタイを、泣きながら洗ったという。
その後、公の場に姿を見せず隠遁(いんとん)に近い生活を続けたが、韓国が金融危機に陥った九七年に政治活動を始めた。二〇〇六年には遊説中に刃物を持った暴漢に襲われ、頬に深い傷を負った。
それでも大統領にまで上り詰めたのは、自叙伝「絶望は私を鍛え、希望は私を動かす」の題名通り、不屈の精神力ゆえだろう。
隣国として気になるのは、今年夏から冷却化している日韓関係への取り組みだ。選挙前の記者会見では「日本は重要な友好国だ」と明言したが、島根県・竹島(韓国名・独島)の領有権や、戦時中の従軍慰安婦への賠償については譲歩する姿勢は見せなかった。
父朴正熙氏は一九六五年、国内の強い反対を押し切り日韓国交正常化を果たした。植民地支配の個人賠償を求めず、日本からの五億ドルの請求権資金を活用し経済発展の基礎を築いた。
歴史の清算を求めず民主化運動を弾圧したと批判もされるが、強い権力を持つ政府が国造りを主導する「開発独裁」型発展のモデルになった。
父の姿を見て政治家を志した朴氏は、隣人同士である日韓関係の大切さを十分に理解している人だと思う。一方、次期首相に就任する安倍晋三自民党総裁は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、歴史認識や教育で日本の価値観を強く打ち出す。
両国は歴史をめぐる論争を繰り返しながら、経済や文化交流で成果を積み上げてきた。二人は面識がある。今後、首脳会談で再会するときには、率直に意見を述べ合い、協力をさらに深める道を確かめてほしい。
核開発と長距離弾道ミサイル開発を続ける北朝鮮への対応でも、連携すべきことは多い。
◆アジアの先例にしたい
当初は女性大統領の誕生を願う熱気はあまりなかった。朴氏は欧米の政治家とは異なり、ジェンダー(社会的な性差)の壁を乗り越え女性の権利向上に尽くした人ではないと、みられているからだ。
それでも韓国では今後、政界だけでなく各分野で女性の活躍が広がっていくだろう。日本をはじめアジアの国々でも、朴氏の活動する姿が女性の社会参加を促すきっかけになればと願う。
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