もし二十年早く生まれていたら、こんな取材をしてみたかったな、と思わせるノンフィクションの著作が何冊かある。その一冊が『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)だ▼日米開戦の直前の夏、陸海軍や官庁、民間企業から優秀な若手が内閣総力戦研究所に集められた。「模擬内閣」は、兵器増産の見通しや石油の供給量などを分析して一つの結論に至った▼緒戦は奇襲攻撃で勝利するものの、国力の差から劣勢となりソ連の参戦もあって敗れる−。その後の史実と重なる「日本必敗」の内容は近衛内閣に報告されたが、政策決定には生かされなかった▼当事者への綿密な取材を基に、日本が戦争に突入したプロセスを描いたのは、当時三十六歳の猪瀬直樹さんだった。「米国と戦争をして本当に勝てると思ったのか」。その疑問を突き詰めたかったという。この後、『ミカドの肖像』などで高い評価を受け、特殊法人を隠れみのにした官僚支配の実態に切り込んだ▼石原慎太郎前都知事に請われ、副知事を五年間務めていた猪瀬さんが、都知事に初当選した。個人として史上最多の四百三十三万票の獲得は石原さんの後継指名が決定的だった▼ただ、本紙の出口調査によると、猪瀬さんに投票した人の三人に一人は石原都政の見直しを求めている。「首都の顔」になる政治家には、負の遺産に向き合う覚悟と責任が求められる。