触ってはいけない。しかし、思わずそっと触れたくなる。藤田嗣治が描く裸婦には、魔性の魅力がある。きめ細かく、独特の透明感がある乳白色の肌。墨で描かれる繊細至極な線。藤田が秘したため、その技法は謎だった▼秘密は、ベビーパウダーにあるらしい。ポーラ美術館によると、油で溶いた白い絵の具で下地を塗っただけでは、墨を弾(はじ)いてしまう。下地の上にタルク(滑石)を主成分とするパウダーをすり込むことで、あの質感が生まれ、繊細な墨の線を描きえたというのだ▼天才画家もタルクに潜む魔性には気づかなかっただろう。国の規制が強化されるまで、タルクには危険な石綿が含まれるものもあった▼知らぬうちに吸い込み、中皮腫になった人がいる。石綿を原因とする中皮腫は潜伏期間が長く、吸い込んで数十年後に発症することがある。いま判明している被害は氷山の一角だろう▼建設現場で石綿を吸い中皮腫などになった人たちが起こした裁判で、東京地裁が政府の規制に問題があったことを認めた。「国会や関係当局での真剣な検討を望む」と、多くの人を救済する仕組みづくりも促した▼国は、国際機関などの警鐘を軽視して規制を怠っていた。石綿被害の犠牲者の中には、あまりの苦しみに「早く殺してくれ」と、もがいた人もいたそうだ。国が対策をとらねば、犠牲者を二度殺すことになる。