歌舞伎界で初めて文化勲章を受章した六代目尾上菊五郎さんが、昭和二十四年七月に亡くなる数日前のことだ。劇場の元支配人が見舞いに訪れたが、六代目は口を利くこともできない▼六代目の手を取って思わず声を上げて泣くと、枕元にいた人たちもハンカチを目に当てて泣きだした。すると、六代目は薄目を開けて小さな声でこう言った。「まだ早いよ」▼作家の宇野信夫さんは、エッセーで「名優は、命の瀬戸際になっても、名ゼリフを吐くものだと、しみじみ思った」と振り返っている。享年六十三歳。当時の平均寿命を考えれば早すぎたとはいえまい▼六代目の孫の中村勘三郎さんが亡くなった。七年前に十八代目を襲名し、歌舞伎界のみならず、演劇界の屋台骨を背負う人だった。五十七歳の若すぎる死だった▼蹴つまずいて、立ち直る動作を「おこつく」という。勘三郎さんは何千回と稽古し、自分の型をつくった。役者にとって型は基本中の基本だ。それに心がついてきて、「型破り」になる。型を知らないと、「型なし」だと本紙記者に語っていた▼中村座ゆかりの浅草で、仮設小屋の「平成中村座」を旗揚げした。現代演劇の作家たちと意欲作を生みだした。失敗を恐れぬ型破りさが勘三郎さんの魅力だった。まさか新歌舞伎座を見ずに旅立つとは…。祖父ならずとも「まだ早いよ」という言葉しかない。