民主党が衆院選のマニフェストを発表した。前回の売り物だった数値目標や財源確保策は消え、実現に向けた工程表もなくなった。政治を変える熱意までうせたのではないかと、心配になる内容だ。
マニフェストの表紙は鳩山由紀夫元首相から野田佳彦首相に、スローガンは「政権交代」から「決断」に変わった。それ以上に変わったのが、内容そのものだろう。
二〇〇九年の前回衆院選マニフェストは、野党として政権に就いたら実現したい政策を、実現の可能性の有無に関係なく並べたリストでもあった。
その結果、実現できなかった政策や、消費税増税など明記せずに強行したものがあり、政権の正統性に疑問符が付いたのも事実だ。
政権与党として初めて臨む今回は、数値や財源を省いたり、実現可能なものに絞ったり、独自の政策でも実現に前提条件を付けたりと、慎重な表現に終始している。
例えば前回、目玉政策の一つだった社会保障制度改革。最低保障年金創設や後期高齢者医療制度廃止という旗は降ろしていないが、「社会保障制度改革国民会議の議論を経た上で、実現を目指す」との留保を付けた。実現できないこともあり得ると暗示する表現だ。
また、相次ぐ米兵による犯罪を受けて改定論が高まっている日米地位協定について、前回は「改定を提起」と踏み込んでいたが、今回は「運用改善」にとどめた。
これらの背景には、与党になって現実という壁を打ち破る難しさに直面した事情があるのだろう。野田首相(代表)は記者会見で「教訓と反省」と説明した。
しかし、それで目指す方向が不明確になったり、異なったりしたら、有権者が民主党に再び政権を任せる気になるだろうか。
「生産者」に立脚する自民党と異なり、「生活者」「消費者」をよりどころとし、「共生の社会」をつくる民主党の理念に共感する国民も依然、多いのではないか。
長く続いた自民党政権時代に、岩盤のように築かれた日本政治のありようを変えるのは容易ではない。民主党に三年余りで結果を出すよう求めるのは酷なのだろうが、当の民主党が変えようとしなければ変わるはずがない。
民主党政権の三年余りに教訓と反省を求めるとしたら、壁を打ち破れなかった能力不足ではなく、打ち破ろうとしなかった努力不足だ。政権与党になることが政治を変える熱意を失うことと同義語だとしたら、あまりにも情けない。
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