社会保障制度改革を話し合う政府の国民会議が今月発足する。制度の抜本改革を進めてほしいが、顔触れは有識者中心で国会議員はいない。専門家の知恵より政治主導の実行力が求められている。
委員候補十五人は、学者が中心だ。会議は民主、自民、公明の三党の合意に基づき政府に設置された。来年八月までに、後期高齢者医療制度の廃止問題や民主党の新年金制度などを話し合う。
だがこれらだけを議論するのでは、社会保障と税の「一体」改革論議で三党間で決着しなかった課題の処理会議で終わってしまう。
「一体」改革といいながら政府がこれまで示した案は、既存の制度の改善ばかりだ。これで増税だけなら無責任だ。
国会は増税を決めた。国民に負担を強いる以上、制度をどうつくり直し持続させていくか、腰を据えて将来像を示す責任がある。
どれだけの負担をすれば年金制度は続くのか、医療費が膨張する高齢者医療をどう改革するのか、生活が不安定で結婚ができない若者の雇用はどうするのか、将来を担う子どもたちの教育の充実も社会保障の問題である。
政府の有識者会議はこれまでも設置され、多くの提案がある。国民会議がどこまで踏み込んだ改革案をまとめられるか疑問だ。
そもそも国民会議は増税を実現するため、三党で合意しそうもない改革を先送りするために設けられた。議論するテーマなども事前に三党が決める。議論すべき改革案が棚上げにされる懸念がある。
求められているのは改革案を決める全国会議員が真剣に話し合うことである。本来は国会に議論の場をつくり、議員が膝詰めで話し合う政治の問題だ。政争の具にしない覚悟も要る。
政権交代で制度がひっくり返るようでは、国民はとても「将来の安心」を感じない。スウェーデンの年金改革は超党派で取り組んだ。七年をかけ二度の政権交代を経験しても制度は保たれている。
日本でも二〇〇四年の年金改革の際、年金一元化などを話し合う超党派の衆参合同会議を国会に設けたことがある。残念ながら各党が主張をし合うだけで終わってしまった。議員には責任感と真剣さが足りないのではないか。
少子高齢化が進む今、改革は待ったなしだ。安心できる制度を目指すという問題認識は各党とも同じはずだ。もっと危機感を持ち決める政治を実現すべきだ。
この記事を印刷する