フットサルのワールドカップ(W杯)で日本は初の決勝トーナメント進出を果たし、戦い終えた。サッカー元日本代表、三浦知良選手の出場に勇気づけられたり感慨深い人は多いのではないか。
愛称カズ。W杯出場は、本職のサッカーではほんのあとわずかのところでかなわなかった“夢の舞台”である。四十五歳での初挑戦だった。計四試合、出場時間は二十九分余り。決して長くはなかった。得点もなかった。けれど、出場するたびに声援は盛り上がり、得点の期待を十分に抱かせてくれた。敗退後、チームメートを慰めて回るカズに涙はなかった。
栄光と挫折を繰り返したサッカー人生だ。十五歳で単身ブラジルに渡り、四年がかりでプロになった。凱旋(がいせん)帰国し、Jリーグで活躍、得点後のカズダンスは大流行した。世界最高峰のイタリア・セリエAで初の日本人選手となったが一年で一ゴールに終わった。
日本代表では大活躍した半面、夢であるW杯出場に恵まれなかった。予選の最後の最後に失点した、いわゆる「ドーハの悲劇」で米国大会(一九九四年)行きを逃した。日本が悲願の初出場を決めたフランス大会(九八年)では、本大会直前のスイス合宿で代表メンバーから漏れ、屈辱の帰国を体験した。その後、所属チームを転々とし、現在はJリーグ2部だ。それでも「夢は日の丸をつけてのW杯出場」と言い続けてきた。
もともと身体能力が高いわけではなかった。それでいて大事な試合ほど結果を残せたのは「精神力の強さゆえ」と周囲の評だ。加えて、たゆまぬ節制と体の手入れを欠かさない。その強烈なプロ意識は、女子テニスで引退から十二年後に現役復帰し、四十歳を超えて世界トップ10選手を破るという史上初の快挙を遂げたクルム伊達公子選手(42)と共通する。復帰会見で伊達選手は「若い選手へ刺激を与えるため」と復帰理由を語った。
プロ意識とは何もスポーツ選手に限らない。お金を稼いでいる以上、どんな仕事でも欠かせない。若者の早期離職が問題化し、厚生労働省はこうした職業意識の希薄を理由に挙げている。
せっかく就職したのに三年以内に三割の若者が辞める現状は、悲しい。中には若者を使い捨てるような企業だったり、健康を損ねてしまった例もあるだろう。ただ、仕事とは苦難や挫折は付きものだ。努力や忍耐、あきらめない心。“カズ魂”を手本にしたい。
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