その原稿は、作家が倒れる直前まで向かっていた机の上に、きちんと置いてあったという。先月、八十七歳で亡くなった丸谷才一さんの最後の小説『茶色い戦争ありました』が、きのう発売の「文芸春秋」に載った▼物語は、終戦の日のひどく混雑した列車の中から始まる。老いた小説家が亡霊となり未完の小説を書き上げるという、丸谷さん自身の姿が重なるような場面もある▼作品を一読して思い出したのが、憲法起草時に首相を務めた幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)の話だ。戦中も翼賛政治に与(くみ)しなかった彼に組閣の命が下ったのは、一九四五年十月。その時、脳裏にある光景が浮かんだという▼八月十五日、彼が乗った電車で男が叫びだした。「政府の発表したものを熱心に読んだが、なぜこんな大きな戦争をしなければならなかったのか、ちっとも判(わか)らない」。やがて男は泣き始め、他の乗客も騒ぎだした▼幣原は、回顧録『外交五十年』に記している。<あの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくてはいかんと、堅く決心したのであった。それで憲法の中に、未来永劫(えいごう)そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした>▼丸谷さんは、八月十五日をめぐる連作短編を書こうとしていたという。それは未完に終わった。だが、戦後日本の原点を問うことは、いつまでも受け継がれるべき、終わりのない作業だ。