澄み切った秋の青空が広がった朝、駅に向かう坂道を、小学生たちが列をつくって歩いていた▼百人ほどだろうか。二列縦隊のようだけれど、ところどころ膨らんだり、うねったり。ふざけて列から飛び出る子もいる。まるで野を流れる小川のように、楽しげだ。校外学習のため電車を乗り継ぎ、近郊の里山まで足を延ばすという▼俳句の世界では、山は春に笑い、夏に滴り、秋には粧(よそお)って、冬は眠る。北宋の画家、郭熙の<春山淡冶(たんや)にして笑ふが如(ごと)く、夏山蒼翠(そうすい)として滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如し>から生まれた季語だ▼厳しい残暑で遅れていた紅葉も、足早に里へ下りてきた。たっぷりと陽光を浴びたせいで、この秋の粧いは、一段と美しいという。残暑も、ずいぶんと粋な置き土産をしてくれたものだ▼繁(しげ)っていた葉が落ち始め、木々の間を飛ぶ小鳥たちもよく見えるようになった。胸にネクタイを締めたようなシジュウカラ、かわいい姿と裏腹に気の強そうなメジロ、胸のオレンジ色がおしゃれなジョウビタキ。急ぐ足をふと止めて、道端の繁みに目をやれば、見過ごしていた自然の営みが見えてくる▼子どもたちが、さくさくと落ち葉を踏んで遊べば、粧った山も、くすぐったくなって季節外れの笑い声を出すだろう。この句のように。<山笑ふ子供千人隠れゐて>平井照敏