東京都内で先週、車いすの男性(56)が踏切で電車にひかれて亡くなった。警視庁は事故と自殺の両面で調べているが、悲劇は防げなかったのか。交通弱者を守る視点が欠けていないか再考すべきだ。
事故は十月二十六日の夜遅くに、豊島区内の西武池袋線東長崎駅近くであった。手動式の車いすに乗った男性をはねたのは同駅を通過した上り電車だった。
現場の踏切は住宅街にある。幅四メートル足らずの生活道路と上下線のレールが交差している。渡り切るまでの長さは十一メートルほどだ。男性は初めに差し掛かった上り線路上で巻き込まれた。
首をかしげたくなるのは警視庁が発表した運転士の証言だ。
当初は「車いすが立ち往生しているように見えた」と話しているとされた。一夜明けると、それが「車いすは逃げるそぶりがないように見えた」と一変した。
トラブルがあったのなら不慮の事故になる。脱出を試みる動きがなかったのなら自殺の可能性が出てくる。どちらに転ぶかで責任の在りかや濃淡が左右され得る。
故人や遺族の名誉にもかかわるだろう。警視庁には厳正な捜査を尽くしてもらいたい。
今年二月には愛知県犬山市内の名鉄小牧線の踏切であった。小さな前輪がレール沿いの溝にはまり、身動きが取れなくなった男性(69)が電車にはねられ落命した。
道路の交通量が多かったり、電車が速く走ったりする踏切には大抵、障害物をセンサーで捉えて運転士に伝える装置が備えられている。線路の急カーブで見通しが悪い今度の事故現場にもある。
しかし、検知を目指すのは立ち往生しているような車だけだ。車いすやベビーカー、自転車、バイク、人などは対象ではない。
電車の安全対策の主眼は乗客を守ることだからだ。重大事故に発展しかねない車との衝突さえ避けられれば、ほかの通行人の安全は警報機や遮断機で保てる。根底にはそんな考え方があるのだろう。
踏切を通るのは車や元気な人ばかりではない。障害者や高齢者、子ども、妊婦らも行き交う。歩道橋や地下道を造ったり、線路を高架にしたりと進歩は見られるが、ペースがのろい。
鉄道会社は理由のいかんを問わず、電車が止まる事態を招いた相手に損害賠償を求めたがる。むしろその前に、交通弱者の安全対策にもっと知恵を絞るべきだ。
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