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大学入試問題に非常に多くつかわれる朝日新聞の社説。読んだり書きうつしたりすることで、国語や小論文に必要な論理性を身につけることが出来ます。会員登録すると、過去90日分の社説のほか、朝刊で声やオピニオンも読むことができます。
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国会の最も大切な仕事は、何といっても政策論争である。内政、外交、経済を問わず日本が曲がり角に立ついま、与野党は衆院解散をめぐる駆け引きにかまけることなく、密度の濃い論戦[記事全文]
11月1日は、今年から国が法律で決めた「古典の日」だ。古典は勘弁してほしい、という人は少なくないだろう。古文の授業で「ありをりはべりいまそかり」などと丸暗記した文法も、[記事全文]
国会の最も大切な仕事は、何といっても政策論争である。
内政、外交、経済を問わず日本が曲がり角に立ついま、与野党は衆院解散をめぐる駆け引きにかまけることなく、密度の濃い論戦を交わしてほしい。
きのう始まった衆院の代表質問で、自民党の安倍総裁が野田首相と初の論戦に臨んだ。
質問1回、答弁1回の代表質問ということもあり、双方の主張にはすれ違いが目立った。
それでも、ここはもっと踏み込んだやり取りを聞いてみたいと感じた場面もあった。
たとえば原発事故に絡んで、安倍氏は「われわれが安全神話の中に立って、原子力政策を推進してきた責任を痛感する」と自民党政権時代の政策について反省の弁を述べた。
ならば、自民党として原発・エネルギー政策をどう見直すのか。安倍氏が「自民党には地に足のついた、未来を見据えたエネルギー政策がある」としか語らなかったのは物足りない。
野田政権の「2030年代に原発ゼロ」方針ではだめだというのなら、今後の審議で自分たちの主張を明確にすべきだ。
尖閣諸島などをめぐる領土外交では、安倍氏は、日米同盟の強化や集団的自衛権の行使容認を訴える一方で「自民党は中国、韓国との関係改善をはかっていく」と強調した。
首相は、集団的自衛権の行使容認は否定したが、中韓との関係改善に異存はあるまい。
では、そのために日本はどんな対応をとるべきなのか。与野党を超えた課題である。国会の場で、互いに知恵を出し合ってはどうか。
論戦を通じて主張をぶつけ合う。一致できる点は党派を超えて協力する。一致できない点は、次の選挙で有権者の選択にゆだねる。
それが、失墜した政治への信頼を取り戻す道でもある。
憲政史上初めて所信表明演説が見送られた参院でも、ただちに審議を正常化することをあらためて求める。首相と安倍氏の党首討論も聞きたい。
衆院解散の時期について、首相は「条件が整えば自分の判断をしたい」という従来の発言を繰り返すにとどめた。
自民党など野党がいま、なすべきことは明らかである。
赤字国債発行法案と、衆院の「一票の格差」を正す法案を成立させる。社会保障をめぐる国民会議の人選を急ぐ。
審議を進め、懸案を決着させることが、野党が求める早期の解散・総選挙への環境を整えることにもつながる。
11月1日は、今年から国が法律で決めた「古典の日」だ。
古典は勘弁してほしい、という人は少なくないだろう。古文の授業で「ありをりはべりいまそかり」などと丸暗記した文法も、大人になって音しか覚えていない人も多いだろう。
だとしても、学校教育の苦い思い出だけで古典を遠ざけておくのはもったいない。
古典はただの「古い作品」ではない。時代をくぐり抜けた強さを持ち、時に現代では失われた美を保つ。来(こ)し方(かた)行(ゆ)く末(すえ)を思わせる古典は、人生経験を積んだ大人こそ楽しめるものだ。
古典の日の日付は、紫式部が源氏物語に日記でふれた最古の日(1008年11月1日)にちなむ。源氏物語千年紀を祝った京都の文化人らが法の制定を求め、9月に成立した。
条文で「国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせ」るために、国や地方公共団体が「ふさわしい行事が実施されるよう努める」とうたう。
何が古典か、という定義は広い。文部科学省の通知によると文学から美術、演芸などあらゆる分野に及び、外国由来のクラシック音楽なども含む。明治の作品でもよいという。
文化庁の調べでは、今年は京都や東京の28カ所で行事が催される。それらのイベントは、古典嫌いの人に少しでも関心を持ってもらえるだろうか。
古典は言葉が古かったり、感覚が異なっていたりして、なじみにくい面があるのは確かだ。
ただ、能・狂言や歌舞伎・文楽のように現代まで実演が続けられ、見ることから入れる古典もある。楽しむコツは、超一流の演者を選ぶことだ。
例えば、文楽だったら人間国宝、竹本住大夫(すみたゆう)の語り。残念ながら病気療養中だが、その歯切れのいい節回しは、初めて文楽を体験する人の耳にもすっと入る。字幕や台本を見なくとも、江戸時代の男女の悲劇が切々と心に迫るのだ。超一流は古典でも分かりやすい。
とかく古典の話では、教養をひけらかす文化人がいてうんざりさせられることもある。
だが、イタリアの大作家、イタロ・カルヴィーノは「まだ読んでない基本的な本の数は、つねに読んだ本の数をはるかに超えている」と断言する。そして「古典を壮年、または老年になってから初めて読むのは比類ない楽しみ」という(「なぜ古典を読むのか」)。
気後れする必要はない。古典を学校教育で終わりにせず、自分のペースで楽しもう。