街の写真屋さんにとり、肖像写真や集合写真を撮るのは、幸せな時を焼き付けるようなものだ。進学や就職を目指しての証明写真。結婚式や新入学を祝う一枚▼ポーランド南部に住むブラッセ青年は、人を和ませて表情を引き出すのがうまい腕の良い写真家だった。彼が撮った膨大な写真は、世界史的記録とされる。ただし、その素晴らしさではなく、その悲惨さのために▼一九三九年秋にドイツ軍がポーランドに侵攻し、青年の運命は暗転した。ナチスへの協力を拒み、アウシュビッツの強制収容所に送られた。彼を死から救ったのは、写真の腕だった▼几帳面(きちょうめん)なドイツ気質のためか、収容所では、これから抹殺するユダヤ人や政治犯たちの記録まできちんと作られた。その身元記録台帳に使う顔写真を撮るのが、ブラッセさんの仕事となった▼四万枚とも五万枚ともいわれる写真は、そのまま死の記録だった。ソ連軍が迫り証拠隠滅を命じられた時、彼は背いた。虐殺の証拠を守り抜いた▼彼は戦後、街の写真屋さんに復帰しようとした。だが、心の傷がそれを許さなかった。「若い女性の写真を撮ろうとすると、背後に死んでいった人たちの姿が見えてくる。恐怖で見開いた目で、私を見つめるんだ」と、英紙に語っていたブラッセさんは先週、九十四歳で逝った。天国で、幸せを写し撮る写真家に復帰しただろうか。