「みんな元気」「大きな未来」。被災地の子どもたちが墨痕鮮やかにしたためます。その笑顔をいつまでも見ていたいから、みんなのこと、忘れません。
一面のすずりを、がれきと泥の中から拾い上げました。
タレントの矢野きよ実さん(50)は「霄花(しょうか)」の号を持つ書道家でもある人です。
矢野さんは昨年四月、日本赤十字の視察団に加わって、東日本大震災の被災地を訪れました。初めての訪問先は宮城県石巻市の雄勝町。日本一のすずりの産地です。偶然とは思えませんでした。
◆心の中に秘めたもの
集まった人たちに「私たちに何ができるでしょうか」と尋ねると、「元気でいて、そして、私たちを忘れんといて」と口々に。
傷だらけのすずりを許可を得て自宅に持ち帰り、それを使って「忘れない」としたためました。自分との約束でした。
十八歳で父親を亡くし、続けていた“習字”もやめようと思ったとき、書道教室の先生が一本の筆をくれ、「何でもいいから書いてごらん」と言葉をかけてくれました。矢野さんは「淋」「淋」と書き続けている自分に驚きました。
その中の一枚が、公募展に入選し、愛知県美術館に飾られました。それを見た審査員の偉い先生が「何だこれ、さびしすぎてだめだ」とつぶやくのを聞いたとき、「あーよかった」と、胸のつかえが下りました。心の中に滞っていたものを吐き出して、それと真っすぐ向き合うことができたのです。
被災地で子どもたちと一緒に書を書く「無敵プロジェクト」が始まりました。
子どもたちは、半紙に向かって、「一人にしないで」「さみしいの」と、まず思いを打ち明けます。止まっていた時計が動き始める音がします。そのうちに「生きる」「がんばろう」「負けない」と前を向き始めます。ここまで来るとそのあとは、好きなことを自由自在に書くそうです。「すし」「おにぎり」「野球」「自転車」…。そして最後に「あーすっきりした」と叫びます。
今年六月、岩手県陸前高田市の竹駒小学校。津波で父親を失った四年生の駿くんは、自分の名前を紙いっぱいに書きました。
「父ちゃんと母ちゃんにもらった大事な名前…」と彼はつぶやきました。
すると隣で級友が、駿くんのために力強く書いたのです。「君は一人じゃない」
文字が、言葉が、子どもたちをつないでいくのがわかります。
◆卒業式まで預かるよ
うれしい言葉は、仮設住宅へ持ち帰ってもらいます。悲しい言葉は矢野さんが預かります。矢野さんの手元には、およそ千枚の作品が大切に保管されています。彼らが卒業するときに、返してあげるつもりです。
経済学者の宇沢弘文さん(84)に教わった逸話を思い出しました。
明治の初め、福沢諭吉と初代文部大臣、森有礼の間で論争がありました。「education」という英語を、どう日本語に翻訳するか。福沢はそれに「開発」という言葉を当てました。子どもたちが生まれつき持つそれぞれ違う能力を、そのまま引き出し、花開かせてあげること。
森有礼が選んだ言葉が「教育」でした。国や社会の理念に沿って、教え育てていくことです。
子どもたちだけではありません。3・11の爪痕のあまりの大きさに、日本中が言葉を失いました。
政治は混迷、経済は低迷、勇気や元気は、だれかにいただくものになりました。
原発がなくなったらどうするの。これ以上経済が落ち込んだらどうするの。この国をだれに導いてもらえばいいの。
途方に暮れて声だけ大きな人たちの、空虚な言葉に身を任せようとしています。
止まった時計は、結局自分で動かすしかありません。それには、被災地の子どもたちがそうしたように、自分自身の秘めた言葉を一つずつ、取り戻さなければなりません。その言葉を目標に、少しずつ、自分の足で、前へ進まなければなりません。
◆繰り返し、繰り返し
その気になれば、太陽や風の力を今よりもっと引き出すことも、難しくはないでしょう。原発のない豊かな社会は、夢物語ではありません。
自分だけの言葉を思い出してほしいから、私たちは、うつろう時間と季節の中で、繰り返し、繰り返し、紙面に刻み続けます。
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