群れない。頼らない。ブレない。褒められようとしない−。七十六歳の映画監督は、戒めとして手帳に四つの言葉を書き留めていた。交通事故で亡くなった若松孝二さんだ。きのうの告別式には約六百人が参列した▼今年、作家の三島由紀夫の自決をテーマにした「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」を発表した。一九七〇年代の新左翼運動の理解者として知られた人がなぜ?と戸惑いも広がった▼若松監督の説明は明快だった。「戦後のあの時代に何が起きたかを、きちんと描きたい。『レンセキ』(連合赤軍)では、左の若者たちを描いたのだから、今度は、逆の立場で同じように立ち上がり挫折していった存在を描きたいと思った」▼独立プロの限られた予算を役者の表現に集中させたいと、ごまかしの演技には容赦なく罵声を浴びせた。妥協のない姿勢は、寺島しのぶさんがベルリン国際映画祭の最優秀女優賞を受賞した「キャタピラー」に結実する▼戦争で四肢と聴覚、声を失った傷病兵。情欲むき出しの「軍神」とその妻の姿を通じて描いたのは戦争の愚かさだ。その戦争を忘れた日本社会への怒りが原動力だった▼原発事故を映画化する構想もあったという。強大な国家と対峙(たいじ)する人間像を描いてきた監督は、どんな脚本を書いただろうか。実現しなかったのは残念だが、志を継ぐ人はいると信じている。