不戦の誓いのもと、平和的統合を深める欧州連合(EU)へのノーベル平和賞授与が決まった。EUは「今、なぜ」の声に自ら応えねばならない。
長期化する金融危機、一向に抜け出せない財政難−。欧州のイメージはいまや満身創痍(そうい)の破綻国家像に近いのかもしれない。EUへのノーベル平和賞授与が、祝福よりも驚きをもって迎えられたのも当然だ。
◆辛辣な批判の声も
「現状は、まさに日々戦争そのもの。それなのにノーベル平和賞とは」。若者の失業率が50%を超えたギリシャのメディアが伝える市民の戸惑いはその唐突感を如実に示していた。スペイン、イタリアへの債務危機の拡大懸念も払拭(ふっしょく)されていない。
統合深化とは常に一線を画してきた英国のメディアからも、辛辣(しんらつ)な声があがっている。「戦後六十年間の平和的統合への貢献が受賞理由というが、そもそも戦後欧州に平和をもたらしたのは、英国と米国ではなかったのか」
欧州が培ってきた平和と安定という国際イメージが、ユーロ危機によりいかに深く損なわれているかが分かる。
受賞発表の前、国際通貨基金(IMF)・世界銀行年次総会で訪日していたショイブレ独財務相は、記者会見で「欧州が犯した過ち」について触れ、国際的になかなか理解が得られない「欧州の複雑さ」を繰り返し指摘していた。
過ちとは、ユーロ導入に際して決めた経済的諸基準を加盟国自身が守れなかった責任だ。複雑さとは、主権国家の統合体が民主的プロセスを踏みながら意思決定を進めていく過程の不透明さだ。自由、平等、民主主義、人権などの基本的価値観の担い手を自負する欧州が抱く自省をはしなくも示していた。
◆晒(さら)された三つの弱点
第二次大戦後、再度の悲劇を封印するため「国際紛争の原因となりうる資源を共有する」ことをうたったシューマン仏外相提言のもと、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が発足して六十年。六カ国だった加盟国は拡大を重ねて二十七カ国に。域内総生産(GDP)は十七兆ドル超、人口五億人を抱えるグローバルパワーとなった。
基本理念が脅かされるたびに、EUが統合を深化させてきたことはよく知られる。首脳会談が定期化されたのは、一九七〇年代の石油ショック時だった。現リスボン条約の成立もフランス、オランダによる批准拒否という事態を、冷却期間を置いた再交渉を通して辛うじて乗り越えてきた結果だ。
現在十七カ国に及んでいる通貨統合の構想は七〇年代のジスカールデスタン仏大統領−シュミット西独首相の時代に遡(さかのぼ)る。共通決済通貨エキュの導入を経て条件を整え、実際のユーロ紙幣・硬貨の導入には三年間の経過措置を設けるなど段階的に進めてきた。
理念を提示し、失敗、修正を重ねる漸進主義こそ、欧州統合のプロセスだ。「地味で退屈な日常の連続だが、戦争という事態を考えるとどれだけ恵まれているか」。EU元幹部の述懐が、EU統合のありようを物語っている。
ユーロ導入から十年目に噴き出した欧州危機は、統合に潜む脆(もろ)さを容赦なく浮き彫りにした。EUが今回の危機をも統合強化の好機に転じられるか。少なくとも三つの脆弱(ぜいじゃく)性を克服できるか否かにかかっている。
一つは、意思決定の遅さだ。秒単位で変化する金融市場に対して、EUは即応できる意思決定のしくみを持っていない。銀行同盟、財政統合への機構改革の取り組みは始まったが、一層の主権移譲を伴う改革への覚悟が問われる。
二つ目は、ショイブレ氏も指摘する意思決定過程の不透明さだ。EU諸国は、民主的統制を経ない国際金融市場の支配力を批判しながら、自ら「民主主義の赤字」と呼ばれる制度的欠点を抱え、統合体として十分な民主的裏付けを示し得ていない。
◆不戦の原点忘れては
そして、何よりもEUの原点に対する思いの風化だ。「ドイツの欧州ではなく、欧州のドイツ」を掲げユーロ導入に踏み切った「統一宰相」コール元独首相は、実兄を第二次大戦で失う個人的体験を持っていた。戦後世代の欧州指導者が不戦の原点について語ることは稀(まれ)だ。欧州連邦化を含めた欧州の将来像は、こうした根本課題を回避しては語れまい。
グローバル社会にあって、一国だけで解決できない諸問題に対処する地域統合モデルとしてEUの存在は大きい。欧州統合の挫折は冷戦後の新たな秩序づくりを模索する国際社会にとっても計り知れない損失だ。授賞に込められたエールを受け止められるか。EUが託された責任は重い。
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