人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使った臨床研究の真偽で新聞報道が混乱した。正確な情報を伝えることは新聞の命だ。十五日からは新聞週間。この当たり前の責任をいま一度胸に刻みたい。
発端は、読売新聞が十一日朝刊一面トップで報じた「iPS心筋を移植」「初の臨床応用」の記事だった。米ハーバード大客員講師の森口尚史氏らが今年二月にiPS細胞から心筋細胞を作り、重症の心不全患者に移植治療を施したとの内容だった。
ノーベル医学生理学賞が京大教授の山中伸弥氏に授与されることが決まってから三日後。iPS細胞実用化への夢と期待がさらに大きく膨らんだ時期で、本物なら世界的な大ニュースである。
読売を追いかけるように、共同通信は十一日夕刊用にほぼ同じ内容の記事を配信した。本紙をはじめ北海道新聞、河北新報、西日本新聞、中国新聞など有力地方紙の多くが一面トップ級で載せた。
ところが、森口氏が客員講師を務めるとしたハーバード大も、治療を行ったとした米マサチューセッツ総合病院も、報道の事実を否定し、論文の共著者とされた研究者も、論文の存在や中身を知らないと答えた。森口氏の説明は虚偽の疑いが濃厚となった。
読売は十三日朝刊で誤りと認めて検証記事を載せ、共同は十二日におわびなどを配信した。読売は「取材の過程で何度か、虚偽に気づく機会はあった」と反省し、共同は「速報を重視するあまり、確認がしっかりできないまま報じた」と振り返った。
難治の病に苦しんでいる患者やその家族を落胆させ、iPS細胞の研究者を困惑させる誤報だった。森口氏に取材しながら報道を控えた新聞社もあった。本紙も共同記事の掲載責任は免れない。
ネット社会で誰もが発信でき、情報が氾濫する時代だ。新聞の生命線は速報性よりも正確性にある。確かな裏付け取材によって価値を判断した上で、信頼できる情報を提供することがとりわけ新聞社の重要な使命となってきた。
殊に大震災と原発事故は、たとえ権威や専門家といえども、検証なしにはその主張をうのみにはできないということを教えた。エスタブリッシュメント側の意図的な情報操作もある。
東大、ハーバード大、学会、政府などの権威に頼らず、取材と検証を重ね、真実を提供することが新聞の責任だ。その姿勢で身近な問題に迫りたい。
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