EUの父は、東京生まれだ。駐日大使を務めるオーストリア貴族の父と、日本人の母の次男として生を受けた。早産で命も危ぶまれたが、千里眼を持つと噂(うわさ)された女性が言った。「この子の命は助かります。そして将来、有名人になるでしょう」▼一八九四年に生まれ、一九七二年に没したクーデンホーフ・カレルギー伯爵は世界平和のためには「一つの欧州」を実現するしかないと訴えて、行動し続けた。第一次大戦の戦禍を目にした伯爵は、二三年に名著『パン・ヨーロッパ』を書いた▼<統一された欧州を実現し得る唯一の力は、欧州人の意志である。実現を妨げるのも、欧州人の意志である>。欧州の多くの人が、その夢の実現を決意したのは、第二次大戦と東西分断という悲劇を経てのことだ▼難産の末に生まれたEUは、二十七カ国が加盟するまでになった。域内の経済格差や大国と小国の軋轢(あつれき)。そして、世界を揺るがす経済危機。問題は余りに多い▼だが、「戦乱の欧州」を「平和な欧州」に変えた偉業、それを実現させた人々の意志の輝かしさは、ノーベル平和賞に、いかにもふさわしい▼伯爵の回想録には、こんな言葉がある。<世界に火が付いて燃えている時には、消火活動に参加し得る人ならば、何人といえども静観する権利はない。今日の時勢では、政治はなぐさみ事ではなくて、一つの義務である>